【画像差替+一部修正】海禅院(再訪+蔵出し) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無い(愚痴満載の)ブログです(´・ω・`)

※2017年7月12日、画像の差し替えと一部の記事を修正しました。差し替えた画像は7月9日に再訪した際に撮ったものです。

おはようございますニコニコ

充電MAXから編集始めると2時間しかもたない(笑)

でも頑張る、この携帯にひひ

友人から忘年会のメール手紙が…30日にするそうな。早いな…ガーン

来月しか良いと言ったこちらの意見はスルーされました(笑)

昨日も蔵出しのための再訪を仕事帰りに長音記号1車DASH!

去年1月に行った時に撮り忘れた本堂。肝心なものを…と思ってたら、しばらくして経王堂も復元されていたので結局行く羽目に長音記号1走る人

ついでに玉津島神社も覗いてきたら観光客らしき集団が過ぎ去った後に巫女さんが1人走り回ってました。お疲れさまですニコニコ

さて…蔵出しですねニコニコ

海禅院『境内説明板(文化財)』

日蓮宗の寺院。山号は確認できず。

1649年(慶安2年)、徳川家康の三十三回忌の際、家康の側室で紀州藩主徳川頼宣の生母である養珠院(お万の方)が妹背山に法華経を書写した経石を収める石室を造り、その上に小堂を建立したのが始まりとされる。

養珠院の死後の1653年(承応2年)、頼宣が小堂を多宝塔に改築し、拝殿と唐門を建立(共に現存せず)した。日護を開基とし、通玄院日演が2世を称し、3世日念の時に教雲院と号して養珠寺の末寺となり、紀州徳川家の庇護を受けた。後、6世日達の時に海禅院と改称するも江戸幕府の滅亡と共に荒廃していき、多宝塔のみが残る状態となったが、旧徳川侯爵家の意向で報恩寺の末寺となる。1967年(昭和42年)に多宝塔が和歌山市指定文化財になったのを機に檀家がいないため、報恩寺が中心となって3年掛かりで解体修理を行った。2012年(平成23年)、古くにその姿を失い、題目碑のみとなっていた経王堂を再建して現在に至る。


三断橋初詣2

老朽化のため、今年解体修理されました(画像は去年のものです)

三断橋上から和歌浦の海を望む初詣2

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題目碑(復元前)初詣2

経王堂(復元後)初詣2

経王堂から観海閣方向を望む初詣2

観海閣初詣2

庫裡初詣2


多宝塔(和歌山市指定文化財)初詣2

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多宝塔から妹背山への登山道初詣2

山頂まで5分程で行けます途中階段が崩れていますので注意が必要です。

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登山道から多宝塔を撮る初詣2

この後、下山して妹背山荘のほうへ回りますニコニコ


柱に「旧あしべ屋(芦辺屋)妹背別荘」の札がある(去年訪問した際はありませんでした)。

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主屋初詣2

主屋前にある石碑初詣2

檀家が無いため無住寺なのですが、報恩寺から派遣された管理人が多宝塔の前に住んでおられますニコニコ

住職は報恩寺の執事長が兼務されているようなので、詳しいことを聞きたい方は報恩寺に問い合わせたら良いと思いますニコニコ

明日は静火神社を紹介しますニコニコ

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