お正月となると、獅子舞が各家々をまわって舞い、厄払いをして歩く風景がよくテレビで放映されます。
私たちが生まれる前には、私たちの虎も同じようなことをしていたそうです。
口上があって、舞って、ご祝儀を頂戴して。
その口上を述べていたのは私の祖父だったそうです。
その時に使っていた太鼓が家にあります。
小さな、馬の皮の張られた太鼓です。
権現舞の意味合いを持っていた証拠です。
今は正月に家々を回って練り歩くことはしていません。
できるのであれば楽しいのでしょうが、2日・3日は大忙しな土地柄なので、ちょと実現不可能ですね~。
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12月11日
震災から9ヵ月。
虎舞の仲間の葬儀が行われました。
たった1人。生存を果たせなかった、大事な大事な仲間。
今年、出演の度に思っていました。
笛と太鼓の音を聴き、梯子の上で舞う虎の、人には聞こえない咆哮を聴き、亡骸が、御霊が、魂が、帰りを待つ家族のもとへ1日も早く帰ってきて欲しい。と。
虎舞は鎮魂の意味合いを強く持つ舞いではないけれど、願わずに舞うことはできませんでした。
ただ、虎が千里を馳せ千里を戻ると言われ崇められてきたのであれば、今年のように祈りを込めて舞うことも「あり」なんじゃないかと、個人的に思うワケです。
今年は3度、梯子を架けました。
3度とも、海へ向けて梯子を架けました。
同じ気仙沼市内、浪板・明戸の虎舞さんも活動していたこの年、何を思い、舞ったのでしょう。
岩手県釜石では虎舞フェスティバルがあったと聞きます。
何を思い、舞ったのでしょう。
きっと、思いは同じなんです。
私たちが舞ったから、無事でいられる保証ができるわけじゃないです。
何もできません。
強く祈ること。願うこと。
それしかできないけれど、それを忘れてはならないと、それこそが大事なんだと思います。
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震災から9ヵ月。
虎舞の仲間の葬儀が行われました。
たった1人。生存を果たせなかった、大事な大事な仲間。
今年、出演の度に思っていました。
笛と太鼓の音を聴き、梯子の上で舞う虎の、人には聞こえない咆哮を聴き、亡骸が、御霊が、魂が、帰りを待つ家族のもとへ1日も早く帰ってきて欲しい。と。
虎舞は鎮魂の意味合いを強く持つ舞いではないけれど、願わずに舞うことはできませんでした。
ただ、虎が千里を馳せ千里を戻ると言われ崇められてきたのであれば、今年のように祈りを込めて舞うことも「あり」なんじゃないかと、個人的に思うワケです。
今年は3度、梯子を架けました。
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同じ気仙沼市内、浪板・明戸の虎舞さんも活動していたこの年、何を思い、舞ったのでしょう。
岩手県釜石では虎舞フェスティバルがあったと聞きます。
何を思い、舞ったのでしょう。
きっと、思いは同じなんです。
私たちが舞ったから、無事でいられる保証ができるわけじゃないです。
何もできません。
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それしかできないけれど、それを忘れてはならないと、それこそが大事なんだと思います。
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遠東記
http://blog.canpan.info/entoki/
震災後、早々に唐桑へやってきてくれたKくんのHPです。
彼の活動と、現在の唐桑。
少しずつですが、載せてくれています。
KECKARAというフリーペーパーを作ってくれているのも彼です。
是非是非、ご覧いただきたくお願い申し上げます。
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