2000年、実力も人気も絶頂のモテキ!(笑)ということで、日本初のアワードで表彰されました。

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誰かが付けた「プリンセスユキエ」という何とも気恥ずかしいあだ名が雑誌にまで書かれるようになり、思い描くクールなスノーボーダーとは違ったけど自分を見てもらえることは嬉しかった。
見てもらえる「入り口」は何でもよかった。
スノーボーダーとしての自分を見てもらえるなら。

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この頃数々のランキングでなぜかトップになっていて、戸惑いと共に私は燃えていた。
押しつぶされたくなかった。
周囲の評価やプレッシャーにではなく、自分に。

私は自分が女だということも全面に出していたから、それはいろんな意味で注目もされやすかったけど叩かれやすくもあった。

だからこそ、そういう打ち出し方もしている自分に負けたくなかった。

根本はスノーボーダーだから。
その自信を自分でしっかり持ち続けてなければ恥ずかしくて潰れると思った。

今考えても、いいプレッシャーだと思う。
やり続ける力があるなら、やる。
そんなプレッシャーなくてもやめる時はやめる。
だったら好きにいきたい。
そしてもっと強くなりたい。

自分に負けなければ周囲の評価は全てじゃなくて、そこに左右される必要はないから。


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当時27歳。スノーボードを始めて7年目。
その頃には辞めてると思ってたスノーボードは、私の中心だった。

私にとってルーツであるカナダのウィスラーは欠かせない場所になっていた。

初めてここに来た自分はスノーボーダーではなかったし、初心に返って新しいこと挑戦することができた。
確かに日本ではどこで滑ってても人に見られて、恥ずかしかったのかもしれない。
当時日本人も沢山いたけど、それよりもここにいる自分はちっぽけだと思う気持ちの方が強かった。
それが心地よかったんだと思う。


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ハーフパイプ、ビッグエアー、挑戦して挫折して自分の限界が見えて、それでも新しい世界が広がっていった。
スノーボードは私に沢山の世界を教えてくれた。

スノーボードを諦めるなんて言葉は今まで一度も考えたことがない。
諦める理由なんてなかった。

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バックカントリーで初めて避難小屋に泊まったのもこの頃。(今やウィスラーヘリの大御所ジュンイチくん、山ガイドの松本ショウジくん、プロスノーボーダー渡邊ユウタくん、という大活躍の面々と。)

自分のちっぽけさを感じれば感じるほど、そこへ向かっていった気がする。

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あれから更に月日は経ったけど
結局私って変わってないじゃん、て思う。
あの頃は本当に自由だったけど、自分ではそんな風に思ってなかった。あたりまえだったから。

今の方が気づいてる。
自由は少なくなっても無くすことはない。
自由の意味を生かせるのは、気づいてからの方が上手になるのかもしれない。

だけど本当に自由で若さのある20代の時にやっておいた方がいい事がある。そこでやれたことは、30代40代になった自分に生かされるから。 

20代の私に、「よく思いっきりやってくれたな!」って褒めてやりたい。

だから今がある。

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そして今の私が思いっきりやることで
50代60代になった私は振り返り、よくやったなーって思うのかもしれない。