昨日で、「クラウドファンディングが終了」した。結果は、「不成立」。要は、「(資金集めに)失敗した」というところだ。もともとが、クラウドファンディングに参加したこと自体がひとつの「チャレンジ」だったはずだ。でも、この「惨敗度はない」気がした。なにしろ、「支援者の方がひとりもいなかった」のだ。さすがのわたしも、これには落ち込む…(--;)。もうすでに、クラウドファンディングの紹介ページからは、「昨日の時点で消されて」いまさら、知らない人もいるというのに、こんなことを書く必要もないのかもしれない。でも、今回のこの件を、「何もなかったかのように」知らんぷりして、また、いつものように能天気な?記事を書いてはいけないような、そんな気がしていた。そう、「負の感情にも」きちんと向き合わないといけない、そんな気がしたのだ。さっきから、「もし、小説を書きたいなら、負の感情もきちんと受け止め、向き合わないといけない」なんて言葉も頭をかすめたりする(^^;)。そう、できれば、こんな愚痴っぽい暗い話なんか書きたくはない。わたしの(自分の)ブログは、できれば「明るい話で」埋め尽くしたい、そんな気さえする。でも、人間、「前向きでばかりはいられない」。時には、立ち止まり、後ろを振り返ったり、または、「道草」したりして、歩みを滞らせたりする。そんなことも「必要」なんじゃないか、そんなことさえ思ったりする。

さて、なぜ、今回のクラウドファンディングは失敗したのか?そんなこと、「わたしにわかるわけない」(^^;;)。一応、「一生懸命」文章も書いたし、作品画像も載せたし、リターンの検討もした。その結果の「惨敗」なのだ。余計に「落ち込む」だけだ(考えても)。

でも、ムリヤリ負の感情と向き合ってみれば、「まだ時期が早かった(写真の腕が不十分だった)」とも言えるし、「(素人のくせに)リターンの値段が高すぎた(設定が)」と考えることもできる。職場でもみながみな「無関心だった」という「わけでもない」。最初、「この先の投資として」買ってくれる、と言った人もいた。でも、「値段が高すぎる」という理由で、断念されてしまった…。もし、「何人かでも」リターンの購入者がいらして、わたしも「あー、今のわたしのレベルはこのくらいか」と思えたなら、まだ「マシ」だった気がする。でも、そうではない。「支援者の方はひとりもいなかった」のだ(本当に)。

では、「意味がなかった」のか?今回のチャレンジは?

そんなこともない気がする。まだ、自分では「十分でない」ことがわかったからだ。もし、わたしの写した写真が「素晴らしくて」、「みんなが気に入ってくれて」順風満帆にこの先も進んだとしたら、どうだっただろう?わたしは「調子に乗って」この先の進歩を妨げたかもしれない。もっと「レベルアップできる(たぶん)」そんな機会を逃したのかもしれないのだ(前向きに考えれば)。

そして、わたしは、(仕事上で)新年度を迎えての「あわただしさ」と、花粉症にやられて、あまり「体調も万全でない」のも加えて、(プライベートでは)なんだか「少し落ち込んだような」、あまり「活発でない」日々を送っていた気がする。

もし、クラウドファンディングが成功し、この先の(写真での)「収入のめど」も少しは立って、「明るい未来が」予感されたなら、「今の仕事を考える」そんなことまで思っていた。でも、今回「失敗」したことで、「その道は絶たれた(少なくとも遠のいた)」気がしていた。そして、わたしは、『自分がどうしたいのか』、『この先、どんな道を望むのか』さえ、定かには定まらない、そんな「低迷した」思考状態にもあった。

今でも(現時点でも)、はっきりと「自分がどうしたいのか」わかったわけではない。この先、「どんな未来の」可能性があるのか?さえ、全然見通せる気がしない(^^;)。

でも、「ひとつだけ」わかったことがある。わたしは、『写真を撮るのが好きだ』ということだ。これは、今さら言うことでもない、そんな気もする。でも、今日、それが「再確認できた」のだ。

それは、今日、(職場で)こんな会話がなされたからだ。目上の方と雑談していて、ちょうど(今)桜の季節で、「(今日は)朝早く起きて、桜の小路を歩いてきた」という話をされた。そして、「もっと写真の腕がいい方がいらしたら、きっとステキな写真を撮ったに違いない」と話される。そこで、わたしは、(ふと思いついて)「わたし、写真は、どんなレベルの方でも楽しめるから好きなんです」なんて話をしてみる。そう、写真は、カメラを初めて持った人でも「シャッターを切れば写真は写る」し、もっとレベルが高くて、「すごいカメラを持っておられる方でも」、『写真は奥が深く』そのレベルでの楽しみがある!そんなことを言った気がする。すると、「いいこと言うなぁ~」なんて笑ってくださり、わたしは「少し癒された」。
そう、「いつも自分がそう思っている」のに、なぜ、「自分では気づかなかった」んだろう(^^)。わたしは、「みなが楽しめる写真が好き」で、そして、(その中の一人として)「わたしも写真を撮るのが好き」なのだ!
そんな「簡単なこと(基本)」を忘れていた気がする。ちょっと美術系の展覧会に出したからって、今の「わたしの写真のレベルが」いきなり上がる「わけがない」(笑)。わたしは、「わたしにしか写せない」写真を求めているのであって、「究極」の話、それは「わたしの個性」が写すものである限り、「何を撮っても」わたしにしか写せない写真になるのでは?!なんて屁理屈まで浮かぶ(笑)。そんなことを考えて、少し「着地点に戻った」気がした。「今の立ち位置に帰った」気がしたのだ。そう、「わたしはわたしでしかない」のだ。他の誰にも代えられない。もちろん、それは「誰でも同じ」で、誰も「他の誰にも代えられない」とも言える(もちろん)。だとすると、「自分を追及することで」自分らしさもだせるし、「自分の望む方向に」向かえる、そんな気さえする(^^)。

そんなことを「つれづれに」考えていくと、いつもの前向きな?悠希さんに戻ってこれた気がする。わたしは、クラウドファンディングの結果を気にするあまり、「他人からの視線(評価)」を気にしすぎたのだ(たぶん)。いつも、「好きなようにしている」くせに、「好きなようにふるまっている」くせに(笑)、こんなに「人からの評価を気にする」なんて、(今思うと)「自分でもおかしい」気さえする。「自分は自分でしかない」。わたしは、「わたしの勝手気ままに生きていい」(爆)(へへ)。それは、ちょっと言い過ぎだけど(^^;)、「人はそう簡単には変われない」。人の本来持っている特質は、「そうは大きくは変えられない?」。努力でどうにかなる部分もある。でも、基本的な性格、というのか、得意不得意の分野では、「どうしようもない」部分もある気がする。わたしがわたしの性格を変えられないように、わたしが自分の好きなことは(やらないと)「我慢できない」ように(笑)、みなも(おおかれ少なかれ)そうなのでないか、そんなことまで思ったりする。「人間は勝手な」生き物で、みんな「自分の本能に従って(笑)」生きている。そうできる人が(環境的にも)「幸せで」、それが「その人らしい」個性となって?長生きもできるんじゃないか(笑)、そんなことまで思ったりする(微笑)。

さて、そんな風に「等身大の」いつもの自分に戻りつつあると、なんだか「無心に写真が撮りたい」気がしてくる。明日の天気は「くもり」。雨ではない。ちょうど桜の季節。少し出向けば、「桜祭り」のやっている会場もあるはずだ!

さあ、「どんな写真」を撮ろう♪どんな写真が「わたしを待っている?」。

この先、まだまだ「進歩しないわけでもない」。また、「みなに認められる」チャンスもあるかもしれない?少なくとも展覧会方面の話は「順調」だし、今、「新しい」作品も作ってる。そう、悲観する人生でもない(笑)。十分「ズーズーしい」か?(爆)(^^*)

人生、落ち込むこともある!でも、できれば「前向きに」進みたいものだ(できることなら)(^^*)。

では、今日は「つれづれ日記」みたいになってしまった。「お見苦しい」箇所(文章)があったとしたら、「お許し」願いたい。これもまた、「悠希の一面」ということで(笑)。

それでは、また。

まだ写真の整理ができていないんですが、今度こそは(次回は)「愛媛の(普通の)写真」を載せましょう!(できるなら:微笑)。

それでは。