種の起源 The Origin of Species | 世界の果てまで理学療法!

世界の果てまで理学療法!

「必要としている人に理学療法を。」
という理念のもと、発展途上国の人々や災害被災者に理学療法をどうやったら届けられるか考えます。

生物学について。
偶然なのか、必然なのか、


『最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である』


みたい言葉に出会う機会が最近多い気がします。
つまり変化しないやつはダメだってことですが・・・
本当でしょうか???
以前、チャールズ・ダーウィンの「種の起源」を読んだ時にそんなことが書いてあったか忘れたので、もう一度読んでみました。
(あ、別にこういっている方を批判する意図はなく、ただ単純に「進化論」好きとして考えてみただけなのであしからず。)


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長いのでまえがき、第一章、第四章、あとがきんとこだけですけど。

残念ながら、上記のような文章は見つかりませんでした。
引用元がどこなのか、御存じの方は教えてくださいm(__)m


適応していくものが生き残るとして、未だにシーラカンス、カブトガニ、ヤツメウナギ等々が生き残っているのはどうしてでしょう。
人間社会で例えるとして、大型ショッピングセンターが全国各地に展開する中、確かに潰れていく商店街もあるかもしれませんが、昔から変わらない老舗だってあります。

その問いに対し、ダーウィンはこう言っています。
「自然淘汰すなわち適者生存は必ずしも前進的発達を含まない-それはただ各生物の生活の複雑な関係の下で、各生物に生じ利益を与える有利な変異を利用するにすぎないからである。」
と。

また、
「ある網全体、あるいは各網のある成員の高度の進歩のためにそれと密接な競合をしない群が絶滅する必然性は全くない。」
とも述べています。別に適応しなくても競合しなければ生き残れるよ、と。すき間産業バンザイ(/・ω・)/



残念ながら(?)世界はそんなに単純ではないようです。
「~する者は○○だ」なんていう一般化された話は大概間違っている気がします。

福岡伸一先生も
「世界は分けないことにはわからない。しかし分けてもほんとうに分かったことにはならない。」
と仰っています。

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「現在の世界の棲息者の相互関係についての我々の無知は深く、過去の時代に関してはなお一層であることを十分に考慮すれば、種の起源についてまだ説明できないで残されているものの多いことに誰も驚かないはずである」

ダーウィンも数々の批判に対し、こう応えています。
ダーウィンだってそう言ってんだから、たぶん「分からない」ということはほぼ間違いない。


「分からない」ってホント興味深い\(^o^)/
久しぶりに「種の起源」を読みましたが、やっぱ面白い。何書いてんのかよく分からないから尚更面白い。いつか時間できたら原著も読んでみようと思います。



というわけで、引用が多くなりましたが、結論としては
適応しようがしまいが、生き残ってみれば分かる
ということにします(/・ω・)/