こんにちは!ゆきです😊


今の会社に入社してから丸3年経ちました。

飽きやすくて1ヵ所に留まることが苦手なのに、よく3年も同じところで働き続けられているな~と我がことながら驚いています。

おそらく今の仕事やペースや場所や人や…いろんなことが今のわたしに合っているのだろうと思います。このまま自分のペースでやっていこう。


今回は映画の感想記事です。

「ペリリュー 楽園のゲルニカ」を見てきました。映画の無料観賞ができるチケットがあったので、見ることにしました。他には「果てしなきスカーレット」も見たかったですが、時間が合わず断念しました。

「ペリリュー 楽園のゲルニカ」ータイトルからなんとなく想像できる通り、ゲルニカと付くだけあって凄惨な戦いがあったのだろうと思って見始めたこの映画は、想像以上に残酷で凄惨で、目を背けたくなるシーンがいくつもありました。

時は大東亜戦争末期の昭和19年4月のペリリュー島。日本軍は米軍からのほとんど一方的な攻撃を受け、生き残った数少ない日本兵たちは生き延びるために米軍の食糧や武器などを略奪し何とか生き長らえるも、日本兵に情報が入ってこないために終戦したことを知らず、潜伏し続け…というあらすじです。

空撃や銃撃で、バタバタと両国の兵たちが屑折れていくのを見て、戦争は、人をいち個人の人間として見ることはせず、お互いがどんな人間なのかを知らないにも関わらず、ただ「日本兵」「米兵」だからという理由だけで憎しみ合い殺し合うように仕向けるものだと改めて思いました。

また、米軍に投降しようとした仲間を上長に売り、日本兵同士で殺し合いや傷つけ合いをする…戦争は誰も信頼できない状態に人を追い込むものでもあるのだと見ていて怖いなと思いました。


この映画の主人公は、漫画を描くことが好きだったために、戦地で命を落とした仲間のことを遺族に伝える功績係に任命されました。死因が転落死や味方の暴発弾を受けたことであったとしても、命を落とした仲間と遺族のためにも、「国のために命をかけて戦った」と嘘をつくことをよしとされることに戸惑いを持つところから主人公のこの戦争への疑問が提示されるようにわたしには思いました。国のために命をかけて戦地で戦っていた時代がついこの前まであったこと、上(国)の命令が絶対であること、大義名分のために知らない人を殺すことをよしとすること。わたしからすると、すべてが異常なことで、とても理解できないですし、したくもないです。

戦車が容赦なく地面に転がっている死体を踏みつけて進んでいく様も、生きている人を炙り焼き尽くしていく様も、どうしたらこんなに非情に残酷になれるのかがわかりません。憎しみからは憎しみしか生みません。もし、兵士たちがお互いを兵士として憎み合うのではなく、あくまでも兵士である以前に一人の人間だと思えていたら、こんなことは起きなかっただろうに…と思うのです。


そして、ペリリュー島に日本軍が来ることを心待ちにして潜伏していた残兵たちは、情報がなかったために戦争が終わっていたことを受け入れることができませんでした。そのために、投降しようとした仲間を殺そうとするのですが…このペリリュー島に送られた兵士たちは始めから生き残ることを前提にされなかったので、国が助けに来てくれるなんてことはなかったのでした。だから、まさか生き残りがいると思われず、戦後も放置されていたのだろうと思います。

戦争は誰が何のために起こしているのかを考えれば、庶民たちにとって何もいいことがないことははっきりわかるのではないかと思うのです。戦争を起こす人たちは安全なところで指示を出すだけで、実際に戦地で戦い傷つくのは、戦争相手のことをよく知らない上に戦争による利益を一切受けとることのない庶民なのだから。


この映画はとってもとっても見ていて辛かったですが、戦争の残酷さ非道さを描いているアニメーションです。

わたしは戦争をしたくないし、する気もないので、そのタイムラインは選びませんが、戦争について知るのにいい作品だったと思います。


やりたいことをやりたいだけやって、楽しく生きていきたいと改めて思ったのでした。


今回はここまで。

読んでいただきありがとうございました♡