「こんなはずじゃなかった実習」―先生自身のがっかりを責めないでーがっかりは看護教員の本気の証拠 | 看護教員応援ブログ

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 現場で感じる「なんで…?」の連続

臨地実習に送り出した学生が思うように動けていない。
あれだけ準備したのに、基本的なことができていない。
そんな場面に直面して「どうして?」と感じた経験は、
多くの看護教員にあるのではないでしょうか。

 

実習指導計画を練り、学生一人ひとりの弱点を補うよう準備し、
現場シミュレーションまで重ねて臨む。
「今回は絶対に良い実習になる」と信じて送り出す。

 

しかし、ふたを開けてみると――
忘れ物、報告・連絡・相談の不足、挨拶や言葉遣いの欠如など、
“基本的なこと”が次々と表面化する。

「あれだけ指導したのに、なぜ?」
そう思えば思うほど、がっかりする気持ちは強くなります。


■ 感情を押し込めると、心が疲弊していく

「先生なんだから冷静でいなければ」
「学生の前では笑顔でいないと」

そう自分に言い聞かせ、がっかりした気持ちを抑えて対応する。
でも、どこかで無理をしている自分がいる。
冷静さを保とうとするほど、心のエネルギーは消耗していくものです。

 

学生を責めたいわけではなくても、
「これまでの努力は何だったのだろう」と虚しさを感じる瞬間がある。
その気持ちを抱えたまま、実習の報告を受け続けるのは辛いものです。

がっかりした気持ちを「感じてはいけない」と押さえ込むほど、
教員としての自信も少しずつ揺らぎます。


■ がっかりの中にある「気づきの芽」

とはいえ、時間がたつと少しずつ見えてくるものがあります。
「あの時の声かけは学生に届かなかったかもしれない」
「もっと違う方法があったのでは」
そう内省できる瞬間が訪れるのです。

 

不思議なことに、この“気づき”は、
がっかりした感情をきちんと受け止めたあとにしか生まれません。

 

つまり、落ち込むことそのものが、
次の指導に向かうための準備段階なのです。


■ 正直な気持ちは、学生に伝わる

学生は、先生が自分たちをどう見ているかを敏感に感じ取ります。
「実はこの結果は先生も残念だった」と、率直に言葉にしてみる。


その上で「でも、前より成長している部分もある」と伝える。

 

そのように“本音で向き合う姿勢”は、
学生の心に確実に届きます。

 

がっかりした先生が、もう一度前を向いてくれている。
それだけで、学生の行動や意識は変わります。

見せかけの励ましよりも、
本気で向き合う姿勢のほうが何倍も伝わるのです。


■ がっかりした先生こそ、次を変えられる

がっかりするというのは、
「学生に期待していた証拠」であり、
「教育に真剣に向き合っている証拠」です。

 

感情を否定せず、そのまま受け止めること。
それが結果的に、教育の質を高める第一歩になります。

 

臨地実習は、学生だけでなく教員にとっても成長の場。
がっかりを経験した先生ほど、次の指導は確実に深みを増します。


■ おわりに

看護教員の仕事は、人を育てながら自分も育っていく仕事です。
完璧を求めすぎず、感情も学びの一部として受け入れてください。

「がっかりする」ことは悪いことではありません。
むしろ、学生に真剣に向き合っている証です。

今日も臨地実習の現場で奮闘している先生方を、心から応援しています。