さっきからエゴエゴと言葉として登場しますが、

エゴは心理学用語としてもよく耳にする言葉です。


一般的にも使われたりしますよね。

「それはあなたのエゴだ」とか。


こういった使われ方をする場合は、

相手のためではなく

自分自身の利益のための行動だって

意味だったりしますよね。


私も調べ直しましたが、

エゴのもともとの意味は、

「他と区別した時の自分」「自己」「自我」と

出てきます。


私が詳しい専門用語を語れるほど賢くはないのと、

これから話すことはこの範囲の理解で

大丈夫だと思います。


私たちが感じる不安や恐れそして苦しみは

この自我から生まれてきているというのが、

この本に書かれていたことでした。


人はもともと人として生まれる前は、

誰彼区別のないものとして存在していました。


そこには一切の不安も恐れも痛みも争いなく、

果てしない愛で満ちた穏やかな世界だと言います。

この世界そのものが神であり、

神と繋がってるという認識でいいかと思います。


ですが、人として生まれ落ちる際に

この穏やかな愛の世界から切り離され、

やがて自我が芽生えます。


自我は自分が自分であるという認識そのもの。


すべてが一体化して繋がっているという意識とは

正反対のものです。


自分が自分であると区別する認識。

それは分離の記憶を呼び覚まします。


穏やかな愛の世界からの分離。

それは不安恐怖痛みの記憶。


だから自我は不安や恐怖、痛みを

生み出すものでもあるのです。


自我は自分が自分であるという意識ですが、

それに固執するほど、

不安や恐怖、苦しみが増してしまうのです。


自我を手放し、神もしくは宇宙でも

呼び方はなんでもいいですが、

自分の魂が高次の存在と同じものであると

思い出した時、その苦しみは消えると

書かれていました。


例えば自分が人より得をしたい、

優位に立ちたいという欲は

自分と他人を区別する自我の働きから来ています。


それは高次の世界との分離を強め、

苦しみや痛みを生み出すのです。


ここでいう自我を手放すとは、

人間の自然の欲求を手放せということではありません。


例えば食欲・性欲・睡眠欲は手放してしまったら

人は生きていけません。

もちろんそれが過剰になると

また話は変わってきますが。


あくまで自我からくる欲求、

他人と自分とを区別し、

分離してしまう欲を手放せということなのです。


この本を読んで、やっと私の中にあった仏教の教え

「煩悩を無くすこと」の意味が腑に落ちたのです。


そして、私が抱いた疑問の答えもそこにありました。


自我を手放した先にあるのは無ではないのです。


大いなる神や宇宙と繋がること。

それは果てしない愛と穏やかさと一体になること。


喜びや感情が無くなるのではなく、

不安や恐れがない世界で

喜びや優しさと一体になって生きる。

それと同義だということ。


自我や欲を手放せと言われると、

自分が自分でなくなるようで

不安に思ったりしませんか?

私はそうでした。

でもそれこそが自我からくる感情なのです。


本当は手放した先には

不安も恐怖も苦しみもないのです。


ただし、この物質世界で自我を手放すのは

容易なことではありません。


この本では自我は消滅を恐れて、

必死の抵抗を試みあらゆる負の感情を

本体に見せつけてくるとあります。


自我(エゴ)の手放し、

浄化の過程はかなりの痛みを伴うものとされています。

この話、どこかで見かけたと思いませんか?


この少し前に

過去の傷と痛みが甦る事象を語ったかと思いますが

私はあれがそうなのかなと感じています。


10年前にこの概念にすでに出会っていたのです。


まぁその時の私は内容を頭では理解できたのですが

手放しの方法が分からなくて、

結局そのままになってしまったのでした。


それに自我の必死の抵抗って聞くだけで

不安になりませんか?


少なくともビビりの私は怖いなと思ったのも

覚えてます。


おそらく当時の私にはそれをできる程の器がなく、

同時に時期ではなかったのでしょう。


少し話は逸れますが、

先ほど心理学のお話をしましたが、

私が大学で心理学を専攻したのも、

実は何かの力が働いたのかもしれません。


心理学はある部分では魂やスピリチュアルに

密接な関係を持っているのだと思います。


大学の授業ではエゴ以外にも

真理に繋がるような話を聞きました。

といってもそれを聞いたのは

確か哲学の授業の時でした。


哲学の授業で私がとても印象に残っている話は

曼陀羅(まんだら)の話です。


曼陀羅の詳しい説明は割愛しますが

(というか詳しい知識がなくてパッと簡単にできない)

仏教の教えや宇宙の真理を絵に表したものだそうです。


この曼陀羅をまったく違う土地で、

まったく面識のない2人の人物が描いたそうです。

その絵は共通点がいくつもあり、

とてもよく似かよっていたとのことです。


その人物は両方とも生まれてから

その思想に触れる機会も

目にする機会もなかったにも関わらず、です。


これが輪廻転生を裏付ける、

もしくは人々が深層意識で繋がってることを

表すのではないかということでした。

そうでないと説明がつかないと。


テレパシーとかそういったものが可能なのも、

見えないところ、心の深層が実は繋がっているから

なのではないかという説もあると

当時先生は話してくださいました。


小さい頃から霊感の強い人や

勘が鋭い人に囲まれていた私は、

この話を驚きとともに聞きながら

どこか納得している自分もいました。


ところで自分が高次のものと同じ存在であり、

すべてが繋がっているって意識も

どこかで聞いたことがあると思いませんか?


ツインレイでよく目にするワンネスのことですよね。


…あれ?違ってたらすいません。

私はそんな風に解釈していました。


プラチナツインレイさんのブログでも

本当はテレパシーなどの能力は

もともと皆に備わってる能力なのだと

あったように思いますが、

それは深層の部分では

実は皆が繋がっているから、なのでしょう。