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骨肉腫女子の今を生きるブログ

骨肉腫と12年付き合っています。(02年〜)
転移の数は数知らず…。
それでも今与えられた生を全うしたい。
それが私を生かせてくれた人たちへの感謝の
しるし。

そんな私のブログです。
色々関係ないことも全て、
骨肉腫の私が感じたことを書いていきたいです。


寝ようと思ったけど…
お部屋の人が明るい電灯つけてるから、
まだ寝れなさそうでした( ̄▽ ̄)


いざ治療が始まったり、
セカンドオピニオンの準備をし始めたら、

とりあえずやることがあるからか、
精神状態が落ち着いてきました。
やらないといけない仕事もあるし。


私は頭で考えるより、
行動した方が安定するみたい。
(きっとみんなそうですよね)


ブログを漁ったり、情報を探すのも辞めたら、なんかとっても気持ちが落ち着いた。

やっぱり私は、
情報過多な状況は向いてないみたい。
自分でちゃんとコントロールできるタイプじゃないし。


一緒にいる時間を増やすために、
実家にも戻りました。(半径200メートルに住んでただけなんですが笑)
私も何かあったときとても助かるし。


ブログも書こうかと思ったけど、
今状況がうまく伝えれないのと、悲観的なブログになるように感じてやめました。なにより、言葉にする勇気が全くなかった。

辛い時もブログを書いてる方がいるけど、私は書かない方が気持ちが落ち着くみたい。

でも、どんな時もブログに自分の状況や気持ちを書くことのできる人は純粋にうらやましい。
書くことで、自分自身やまわりを鼓舞できるステキな人たちだから。


あと、タキソテールはどうしても髪が抜けてしまうのがかなりストレスでした。

仕事ないなら、坊主にニット帽も全く気にならないけど、
仕事ではできなし…

何軒か医療用ウィッグのお店で試着したけど、いいものはどうしても10万円以上、
どうしてもそのお金を出す価値が勝てなくて、
結局夏頃まで使ってたウィッグを自分でカットして、自分のショートの髪型に近づけて使いました。

きっとウィッグとばれていますが、
事情も伝わってるし、
まぁいいでしょう。と割り切りました。


そんなこんなで二ヶ月はあっという間。

一日一日は大切だけど、
こうやって一日一日生きていたら、時間なんてあっという間に積み重なるなぁという印象でした。不思議だ。

yukie





書いていると眠くなって来ました。
ブログ睡眠療法?


で、実際私が年明けから何をしたかと言うと、


整形外科主治医のもと、
タキソテール +ジェムザールの通院点滴 2クール


分子標的薬を使う病院への
セカンドオピニオンの準備


仕事



1は前回、2012年10月の小腸転移の手術のあとに2クールやったんだけど…

つまり、効いてなかったんだけど、
もう有効な薬がないので…ということで、再度使用。

がんセンター中央病院の整形外科の先生にも、主治医に電話で他の方法を聞いてもらったのだけど…イマイチでした。
(昨年1月に問い合わせたワクチンの治験はもうだめそうでした)


2は、整形外科の主治医に「もう抗がん剤の新しい手がない」と言われて、そんなことあるかー!ぷー!と思い、その足で病院内の地域連携室に相談に行きました。
とても頼りになる看護師さんが担当してくださって、
彼女によると、肉腫の分子標的薬を使う医師グループが東京・大阪にいて、何度か患者を紹介したとのこと。
私も、今有効な手だてがないので、セカンドオピニオンをお願いすることにしました。

3は…
「もう残された時間がないならやめてやるー!」と頭をよぎりましたが…


通院でできる治療になってしまったので、治療の時は半日休みますが、続けることにしました。


結果的に、
仕事をすると気分転換になって、
とても助けられました。
迷惑は間違いなくかけていて、申し訳ない気持ちでいっぱいだけど…

まわりの方も理解してくださって、
本当に本当に感謝しきれません。

前職でも、一緒に働く仲間に助けられたのですが、
今回もまわりの人が私を支えてくれています。


そんなこんな年明け二ヶ月を過ごしていました。

今日はもう寝ます~(・ω・)ノ
おやすみなさい。

今日もありがとうございました。

yukie

今は4人部屋に入院していて、
他の人も色んなところの手術後で辛そうです。

病院にいると、頑張っているのが当たり前で、頑張らんとなぁとなぜかいつも勇気をもらえています。

今日も、私より早足で病棟を何十周も歩いてるおじいさんを見て、なんか恥ずかしくなってしまった…
負けるな、私。(勝ち負けじゃないけど、ちょっとリハビリサボってたのですわたし汗)


年末に結果が出てから、
私はこれまでで初めてぐらい凹んでいました。

今までは手術で取れればいい!って方針のもと主治医も家族も前向いて来てたんだけど、

消化器外科の先生には、
「これから抗がん剤治療をしてもしがんが縮小しても、手術ができる状態じゃないと思うよ」って。






あ~、ついに…来た~。
恐れていたこの日が来た…



それからは、
お風呂の中だったり、
職場から帰って家の玄関前だったり、
バスの中だったり、
自分の部屋だったりで、
ふとした瞬間にじわ~と涙が出た。




もし私が親より先に死んだら…
もう一緒に過ごせることができなくなる。
お父さんやお母さんや妹は、
とても悲しむ。
深く深く傷つけてしまう。
と、思ったから。

これまで数え切れないぐらいの迷惑をかけて来たけど、これが一番の親不孝…。



それだけがとても悲しかったし、とても辛かった。
申し訳ないけど、あとは何も思い浮かばなかった。








もうひとつ激しく考えたことは、
これまでの11年間、どこかで治療への判断を間違えなのではという後悔もすごくした。


もし、去年4月の膝の感染症の時に、
さっさと手術してたら…
こんなに一年近くも抗生剤飲まずに済んで、免疫力下がらずに、転移も防げたのでは?とか。
(ごめんなさい、完全に素人知識、全くの憶測)

早く足の手術したら、残された時間、もっと自分らしく生きれたのに!とか。

こういう整形外科の主治医への不信感も年末からどっと高まった。

私の頭の中は、
恐怖と不安と悲しみと苛立ちとでいっぱいでした。



たくさんの情報をネットで調べた。
薬や手術、民間療法、がんの原因、食事、がん患者のブログ。


探しても探しても、
読んでも読んでも、
全く満たされない。


頭の中、心の中、転移が全てだった。




yukie