私の人生⑥~死ぬ勇気より逃げる勇気~ | 野田ゆか《幸せを諦めない人生》

野田ゆか《幸せを諦めない人生》

結局人生は自分を理解し、自分を愛する。ただそれだけ。

どん底人生から大逆転!
いじめ、借金、モラハラ、離婚、生活保護、絵に描いたようなドン底人生から子連れ再婚し毎日甘やかしてくれる旦那さんと可愛い子供達と幸せ人生❤️

人生の目標を

 

幸せに楽しく生きる

 

に設定しなおした私は一気に動き始める。

 

 

そもそもモラハラやDVに耐えてる人って

(かつての私もそうだったけど・・・)

 

・子供が大きくなるまで我慢しよう

・まだ耐えれる

・怒らせる私が悪いんだ

・離婚しても経済的に不安

・私だけでも夫の事を理解してあげなきゃ

・良いところもあるし

 

この考え全部間違ってるから!!!!!

 

幸せで安心出来て愛し愛されてるパートナーシップを築けてる人は

 

そもそもこんな悩み抱えないのよ。

 

パートナーシップに一番必要ないものは

 

恐怖や不安だよ。

 

 

私は

 

まだ我慢出来る、、まだ我慢出来る、、

 

これを毎日積み重ねていった結果

 

死んで楽になりたいと思ってしまったんだよね。

 

でもその我慢の階段ってあと何段あるか自分ではわからないの。

 

まだまだ我慢の階段を登り続けれるのか

 

明日のあと1段で終わってしまうのか。

 

最後の1段を登ってしまう人が命を落としてしまったりするんだと思う。

 

だから我慢や不幸の階段からは降りて

 

幸せで楽しい階段を昇ろうって気づけたから

 

『死ぬ勇気より、逃げる勇気』

 

今の私にはもうこれしかない!!!!

 

そして離婚を強く決意しました。

 

この我慢人生からは逃げようと。

 

 

離婚を決意してからやったことは

 

・市役所に相談

・職場への辞職

・警察への相談

・弁護士への相談

・保育園への届け

・自分の両親へ報告

・親友に報告

・荷物をばれない程度にまとめる

 

これを1週間でやった。

 

なぜ1週間か。自分の気持ちが限界だったのと

 

私の誕生日が1週間後だったから。

 

お祝いされたくなかった。

 

体の関係を強要されたくなかった。

 

決めてから準備する1週間は生きた心地がしなかった。

 

毎日TV電話でどこにいるのか、どんな服装をしているのかチェックされるし

 

帰ってきてからは子供達に誰とどこに遊びに行ってたか聞くから。

 

バレたら何されるかわからない恐怖との闘いだった。

 

そうして私は誕生日前日にベビーカーに炊飯器とケトルをのせ

(米とお湯さえあれば暫くは生きていけると思った)

 

子供達に事前に聞いていた一番大切なおもちゃをリュックに詰め込み

 

スマホ、家の鍵、カードすべてを置いて家からでた。

 

慌ててたからサンダルで。

 

現金は8万円だけを持って。

 

市役所からシェルターへ行き母子支援施設へ入った。

 

初めの2ヵ月は子供達が体調を順番に崩して入院したりして

 

本当にしんどかった。歩きながら泣いてる日もあった。

 

生活保護も受けた。

 

ただこの日本って本当にいい国だなって思った。

 

外国だったらどうなっていたんだろうって。。

 

そして子供達も落ち着いて私も大学病院の事務員の仕事をし生活保護も辞め

 

お金を貯めてアパートに引っ越しやっと子供と4人生活を送り始めた。

 

離婚を決め家を出てから調停が長引き(約1年)

 

弁護士からも初めてのパターンだと言われるほどの経過を辿りつつも

 

無事に離婚はできました照れ

 

 

 

 

いよいよ次は恋愛編ニコニコ