沖縄慰霊の日 =沖縄県民かく戦えり= | にっぽんを守りたい!ブログ

沖縄慰霊の日 =沖縄県民かく戦えり=

おはようございます。
本日6月23日は 沖縄県の 慰霊の日ですね。
沖縄戦の映像などは、民間人に対して、米軍が海から火炎放射機で攻撃、空からも爆弾を落とすという恐ろしい攻撃がされました。
昭和20年4月にアメリカ軍は上陸します。沖縄の民間人の方が、なぜ、このようになってしまったのか?


一番の原因は昭和18年8月の<太平洋憲章(米英共同宣言)>です。まだ、アメリカは正式には日本とは戦争していないという状況でしたが、大東亜戦争が始まってから、アメリカとイギリスとで、第二次世界大戦後の世界について会議をした訳ですが、その中で

敗戦国の武装解除 まで求めていたのです。

一般的には、停戦後の講和条約では、領土の割譲や賠償金、せめて軍縮という所だったのが、この太平洋憲章では、完全な武装解除を求め、そこに自由貿易を持ち込む事を宣言しているのです。

これを呑むとなると、国家、国体を守る事ができなくなり、日本が日本で無くなってしまう。
せめて、有利な状況で交戦状態を終わらせ、この太平洋憲章を改訂する。停戦の講和条約にしても、日本にわずかでも有利な形で講和を行う事が必要だったのです。

以前、祖母と沖縄に行って、平和記念公園、ひめゆりの塔、海軍南部司令部壕跡を見学したり、祖父も一時期いた、知覧の陸軍特別特攻隊の記念館を見た際にも、”大変な戦いであった”ことは良く分かるのですが、”なぜ日本はこのような状況でも戦わなくてはならなかったのか” 実はずっとわからなかったので、とりとめもなくこのような事を書きました。

昨年 太田実司令官の電文をこちらのブログにかきましたが → 沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。


今、日本は当時の太平洋憲章そのままの、占領された状態にいると言えます。
沖縄戦で ”かく戦えり” 多くの民間人が国を守ろうと必死に戦われた事を顕彰し、なんとかその方々が守ろうとした日本を再度、取り戻す決意を!