vivienne sato

   毎日12:45から。アフタートークも多数開催!!!

https://www.resonance-movie.net/

 

 

尾道在住の映像作家田中トシノリによるドキュメンタリーの断片をフィクションのように仕立て、主演のリトルクリーチャーズリーダーの青柳拓次の中野駅前にかつて存在した一軒家の実家の幼少時代の思い出から物語は始まる。

そして家族の思い出や現在の家族との時間の共有へとスライドしていく。若き日に単独スペインへ渡りアジア人としてクラシックギターを苦悩しながら習得した祖父、そして祖父の意志を受け継ぎ日本でのクラシックギターの伝播に尽力を注いだ母。そして沖縄で暮らす二人の娘。祖父と母親の関係は、そのまま青柳と娘たちの関係へと静かに重なっていく。。

 

そもそも田中の前作『スーパーローカルヒーロー』(2014)は、地元尾道で一風変わったレコード店『れいこう堂』店主の信恵(のぶえ)の日常を追ったドキュメンターだ。

EGO-WRAPPIN’や二階堂和美、UA、オーサカ=モノレール、畠山美由紀、青柳拓次などの多くのミュージシャンにこよなく愛されている信恵。

最近はレコードや音源はあまり扱っておらず、様々な種や米や豆類、酵素ジュース、有機野菜などが店内といころ狭しと並べられ、むしろ社会活動家の印象が強い。

映像作品でも分かることだが、店舗はいつ行ってもほとんど開いていない。信恵一人で経営しているので店番がいないのだ。その理由は、彼がどんな天気の日でも朝晩の欠かさず行っている新聞配達の仕事や東日本大震災で被災し子供がいる家庭の一時疎開や移住者の面倒を見ている時間に充てがわれていたのだ。そしてその活動は被爆者へのケアや支援にも広がっていた。。

信恵は誠実に現代社会の問題に向き合い、より良い社会の実現や弱者や様々な被害にあった人々へ寄り添い自分の時間や労力を惜しむことなく漱ぎこんていくのだ。それで多くのミュージシャンから共感を得ている。

その前作『スーパーローカルヒーロー』で音楽を担当した青柳と出会った田中監督は、青柳の震災以降始めた「サークルボイス」というワークショップに興味を持ち、そのワークショップのコンセプトを根底に、今回の『ひびきあうせかい』を青柳の家族との関係や現在の彼の旅を中心とする音楽スタイルを5年にわたり撮影し丁寧に再構成していく。

「サークルボイス」とは、数名で輪になって手を結び、好きな音程で好きな音量で声を出していく、そのうちに自分自身の身体がチューニングされていき、その場にいる人々との連帯、そして周囲の環境音にも共鳴していき、世界と一体化していくような気持ちにさせられるワークショップである。

 

自分が作曲した楽曲をライブ会場で演奏するだけでは、抜け落ちてしまう音楽の体験や役割があるはずだと感じた青柳は、「サークルボイス」によって、音楽が本来持っている癒しや連帯の機能や目的が再び獲得できるのではないかと直感した。それは人類が最初に声を合わせた太古の瞬間に寄り添うようだ。それはあたかも「音楽」と名付けられた以前の、私たちが完全に忘れていた経験を呼び起こすものかもしれない。

 

映像作品は青柳がギターという移動を目的に作られた楽器とともに、東京、沖縄、長野、ミュンヘン、ライプツィヒと世界中を回り、様々なミュージシャンとコラボレーションをしていく。その間、多くの街の喧騒や騒音もまた音楽の一部のように紡ぎ集められていく。

「サークルボイス」がそれぞれの人間が持っている内なる音に共鳴していくように、世界中に既に存在している音たちに耳を傾け、その音たちを救済していき、その微細で今まで気づかなかった存在を意識していく。

「音楽鑑賞」や「音楽制作」という体験は、そもそも内に存在している音楽や振動数と外部の音楽が共鳴していくことだとしたら、この「サークルボイス」によって再び音楽が発生した瞬間に触れることができるかもしれない。

この音楽以前への原初の追体験は、私たちがとうに忘れていたこと、もしくは私たちが思いもしなかった事柄へ補助線を引いていく。。

 

五感というものが、人間の皮膚の裂け目や入り口である器官によってなされるものであるならば、その周辺には様々な粘膜が存在している。

地球において皮膚とは地表で、体内とは海、干潟は粘膜に該当するのかもしれない。

劇中、沖縄で青柳と娘たちが干潟で遊ぶ場面が登場する。たくさんの生物が共存する生態系が豊かな干潟でくつろぐ親子のひとときは、地球上の生命の豊かさや人類のつながりを示唆する。

大海から始まり大海で終わる映像は、同時に中野の桃園川という今は川の姿がなくなった暗渠沿いで誕生し、その記憶を持つ青柳の世界中の海やときには雨の降りしきる世界中の都市へと旅を続ける姿を映し出す。そして地球上の水自体が様々な形を変え循環する姿は、あたかも青柳が世界中と過去から未来へと旅を続ける様と重なるはずだ。

 

山尾三省 の詩篇『水が流れている』が思い出された。

 

水は どこにでも流れているが

その水が ほんとうに

真実に流れることは あまりない

 

多くの時には

水はただ流れているだけで 真実に流れることはない

 

水が私になる時

水ははじめて 真実に流れるのであるが

水は 私にならないし

私は なかなか水にはならない

 

私たちは ほんとうは

かっては水であり 水として流れ

水として如来したものたちであった

 

私たちは ほんとうは

今も水であり 水として流れ

水として如来しているものたちである

 

水は 流れ去り 流れ来る

億の私たちであり ただひとりの私である

 

森の底を

水が流れている

深い森の底を 深い真実の

水が 流れている

 

 

 

 

 

 新宿K'sシネマ  9月5日(土)~18日(金) 12:45~

 

 上映後トークイベント(随時更新)ーーーー

・9/5(土) 田中トシノリ監督/ヴィヴィアン佐藤(映画評論家)/リモート出演:青柳拓次

・9/6(日) ヴィヴィアン佐藤/リモート出演:青柳拓次 、田中トシノリ監督

・9/9(水) ヴィヴィアン佐藤/佐々木俊尚(ジャーナリスト)/リモート出演:田中トシノリ監督

 

・9/16(水) Yae(ミュージシャン)/ヴィヴィアン佐藤/リモート出演:田中トシノリ監督

 

 

https://www.resonance-movie.net/

 

『ミッドサマー』アリ・アスター初期短編の批評zine
二作寄稿しております!!!

1,000円

ペニス空気を入れてオナラ音を出す玩具のフェイクCM『TDF Really Works(TDFはチョー便利)』、
どんどんペニスが小さくなる謎の事件が降りかかる探偵の話『The Turtle's Head(亀の頭)』の批評を寄せました。

ちなみに渋谷ヒューマントラストシネマでは私が制作したヘッドドレスが展示されております!

https://natalie.mu/eiga/news/370411?fbclid=IwAR3EJN51XTqfiNp0A1x70KVQ8vz8PybH-ATWKLthOVvBpYvKQVuARxFSHqQ

https://twitter.com/pamphlet_uchuda/status/1234455900854747136?s=20&fbclid=IwAR1kGw3zVWUozGzICgSZOJfO8PR_7MlJCnKowJlt88OWUronRQvlrVzNfWI

https://pamphlet-uchuda.stores.jp/?fbclid=IwAR0eUoHrIiyQUSZ0ej5a5vd6ftTfEA5B5DUnrt0iExcYjpOcKEJf4LuZGmQ

#midsommar #ariaster #patu #ihopethatpeoplewillfeelunsettled #ミッドサマー #アリアスター #映画パンフは宇宙だ #ビビコメント

 

揺れ動き決定不可能な小ちゃな物語 

 

現在アメリカの映画界ではA24という制作会社による秀作は枚挙にいとまがないが、ベトナムサイゴンにもスタジオ68という傑作を制作し続けている似たようなスタジオがある。 

ゴ・タイン・バンという女優、監督、プロデューサーであり、そのスタジオ68のオーナーでもある彼女は、『スターウォーズ 最後のジェダイ』にも出演し、世界の美女10人にも選ばれたベトナム映画界の革命児と呼ばれている。 

 

スタジオ68が制作し、初の長編映画として『ソン・ランの響き』を手掛けたレオン・レ監督は、ベトナム生まれLA育ち、現在はNY在住。もともと役者、ダンサー、歌手もしていた過去がおり、現在はファッションフォトグラファーという顔も持ち、自費で『ソン・ランの響き』のイメージフォトブックも制作している。

現在密かに注目を集めるアーティストだ。

第31回東京国際映画祭(2018)にも本編が上映され、話題となった。 

 

物語は1980年代という今から見ればまだほんの少しだけロマンや郷愁が残っていた時代。 30年代フランス統治下で生まれ、60年代が最盛期を迎えた伝統音楽劇カイルオン。 

 

借金の取立て屋として働いており、ときには激しい暴力も辞さないユンは、影を持ち孤独に暮らしていた。

あるときカイルオンの劇団へ借金の取へ向かうと、幼少の頃のカイルオンのダングエット奏者の父親と、女優の母親との輝かしい思い出が急に甦るのであった。彼の家族は仲慎ましいカイルオンの劇団だった。 我に帰り、花形役者フンと出逢う。 両者は敵対する。 翌日借金の肩代わりで返金しに来たフンは、その帰り道に食堂で町のチンピラに絡まれる。それを見かねてユンが救出し、気絶するフンを自室で束の間看病してあげる。 そこから各々の幼少時代のの思い出や記憶、影響を受けた書物、人生の哲学などの話をして次第に心を通わせていく。 ユンの父親が残した未完の楽曲を、ユンによるダングエットとソン・ランの演奏に乗せて、フンが即興で歌い、父親の母親への愛の気持ちが蘇ってくる。 

 

数々の世界の映画賞を受賞している今作だが、ひとつ国際LBGTQ映画祭観客賞も受賞している。

しかし、この作品はLGBTQといった「レズビアン」や「ゲイ」といったある意味狭い分類法で語られる種類の作品ではないと筆者は直感するのである。 

劇中、フンの歌声がAMラジオから流れ出す。AMラジオとはFMラジオと異なり周波数が正確に合うことはなく、不安定で雑音が多い仕組みだ。番組の内容だけを正確に傍受し聞き分けるというより、否応なしに電波が満ちている不可視の空間性を聴覚化する。 

そしてふたりが熱中するテレビゲームは、液晶テレビではなくブラン管テレビとして登場する。ブラウン管とは真空管で一番奥底から電子が発せられ、磁力で湾曲させられ、蛍光面に当たり輝く仕組みだ。画面の映像は安定せず揺らめく。 

それからカイルオンの楽団の中には、ソン・ランのほかにダングエットやベトナムギターがある。ベトナムギターとはフレットの間が深く彫り込まれており、チョーキングしやすい構造となっている。それは西洋の音階に当てはまらない複雑な音を奏でることができるのである。 

また時々映し出される空模様の雲の造形や陰影は、決して同じ状態を作り出さず、複雑性を呈する。 

 

要するに作品内の世界は定まらず揺らぎ安定しない波たちだけで満たされており、それはふたりの青年の関係性にも当てはまる。ふたりの関係性は友情や恋愛といったありきたりな分類法で処理できるような、もしくは気軽に名差せる関係性ではない。そもそも人間関係とは、すべて固有で唯一のものだ。そしてそれは刻々と変化する。特に彼らの関係は微妙で微細な変わり続け、擬妙なグラデーション彩度を有する再現不可能な夕方の空模様のようだ。そしてその関係性は儚く一瞬で壊れ、跡形も無くなってしまうようなものなのだ。 

この作品はそんな一時も定まらず不定形で不安定な曖昧であることの美しさと正しさを見事に歌いあげている。 

痕跡も残らず誰ひとりにも見られず、誰にも語られない物語は、世界中いたるところに存在する。 

しかしそれを知ってしまった我々に、そして世界に、影響を及ぼしつづける。

 

 

http://www.pan-dora.co.jp/songlang/