
リトブラフの印刷機と木工工具のDIYスペースを持ち建築や内装デザイン、カフェなどバックグランドの異なる三人による集団「ハンド・ソウ・プレス」。
オリジナルZINE作成体験に行ってきました。10/9のはなし。
大塚サンモール商店街にて、だれでもオリジナルのZINEを作成でき、近くに自由に交換できる「ガリ版印刷発信地」を設置。豊島区内をはじめ全国の書店や公共施設にもZINEスタンドが設置され展開していく。自分たちが手作りで作成したZINEが日本中を廻り、見知らぬ所で見知らぬ人が手にしていくプロジェクトだ。
私も二日酔いの身体にムチを打って、自分のZINEづくりをがんばりました。。。笑
その日の二日酔いの気持ち。全国に届くのか。果たして共感してくださる方もいるのでしょうか。。
一縷の望みをかけて。
「演劇」とは、基本的に「その時/その場所」という固有の時空間の共有とも言えます。
劇場の立地場所やその時々の時候も関わるかもしれません。演者も鑑賞者も一回きりの体験です。
しかし、昨今はコロナの影響もあり配信も数多く行われております。配信のみという鑑賞方法もいまでは珍しくはありません。
配信での鑑賞となると、その固有性は失われます。
鑑賞者は何度でもパソコン画面上で「映像」を鑑賞することが可能になります。
このZINE作成は、固有の場所に存在する仮設の印刷所でそれぞれ個人が描き印刷が行われ、それが全国の現実の書籍店や公共施設に設置されます。
物理的な経験や出逢いがそこにはあります。(ZINEにおいても微妙にズレが生じたり、全く同じものはありません)
いわば身体性がそこには存在しているということです。
都市もまた身体的なものです。
それは、いままでの演劇体験にも近いのです。
例えばある商店街に劇場があるのであれば、そこへ行く途中には様々な経験があり、前後にも多くの店舗や施設などががあります。
商店街の色合いやその日の天気、一緒に訪れた人々がいればその今日体験や記憶にもなります。
いわば配信による本題だけの経験では完全に抜け落ちた「残余」を経験することになるのです。
そして、ZINEは一般書籍や新分などとは異なりネットやウェブマガジンのような形ではなく、実際に身体で接します。
これはデジタルではフォローできない経験なのです。
昨年から私は大正大学で教鞭を執っており、昨年はほとんどズーム配信授業でした。大学には一体何をしに行くのか。ただ授業だけを受けに行く場所であるなら、それでもいいかもしれません。しかし大学生活とは授業以外の余剰こそが大事なのです。
大学とは授業を受けに行くのではなく、授業をサボりに行く場所なのです。
https://tokyo-festival.jp/2021/program/kitamari
https://tokyo-festival.jp/2021/tfcommunicator
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