金融リポートは刺激的な表現に頼ろうとして、退屈な相場変動にも急落、急騰、暴落といった言葉をあてはめる。しかし15日のスイスフランの動きは誇張の域を超えていた。スイス国立銀行(中央銀行、SNB)が自国通貨の為替レートの上限を撤廃すると発表して数分以内にスイスフランは39%急騰した。この原稿を執筆している時点では前日終値の15%高まで落ち着いた。

 一見すると、安定することに価値がある通貨が激しく変動したことは珍しい。だが、世界中の資本の安全な避難先であることが問題の一因なのだ。経済の不安定な時期には資金がスイスに流入する。これが通貨上昇を引き起こし、輸出の妨げとなり、経済の体力を奪うデフレを引き起こす。2011年にSNBが債務危機のさなかに自国通貨の上昇を抑えるため、1ユーロ=1.20スイスフランの上限を設けた。

 通貨高に対抗するのは、通貨安に対する防衛よりも容易なはずだ。理論的には弾薬が尽きることはないからだ。為替を下支えしようとする中銀は、市場を満足させる前に準備金を使い果たす可能性がある。通貨を下落させる場合には紙幣増刷という究極の手段がある。無尽蔵の武器庫があれば、中銀は必要なだけ外貨を買い入れると確実に約束できる。

 SNBの上限撤廃で、理論上は無制限の戦略にも実際は限界があることがわかる。同行のバランスシート(貸借対照表)はスイスの国内総生産(GDP)の約75%まで拡大した。この比率は、非伝統的な金融刺激策を実施する他の経済国と比べても大きい。世界的な金利低下、商品価格の低迷、ロシアの通貨ルーブルの急落などは、たとえ金利がマイナスに低下しても、投資家が今まで以上に資金をスイスに振り向ける理由になる。

 ロシアや原油市場で資金を失うリスクに比べ、スイスの銀行口座に資金を預けるために必要な1%の手数料は得にみえる。

■量的緩和の観測が決断を後押し

 最後の一押しとなったのは、ユーロ圏が近く量的緩和に踏み出すとの観測だ。そうなれば、SNBは上限維持のために追加で数十億ユーロを買わなければならない。バランスシートが拡大すればするほど、上限を廃止する最終的なコストは膨らむ。

 結局、SNBは後のより大きな痛みより、いま痛みを受け入れることを決めた。15日の劇的な為替の変動が、これを正当化する皮肉な根拠となった。SNBがこれまでユーロ買いによって維持してきた為替水準がどれほど実態とかけ離れていたかが証明されたからだ。

 通貨上昇はスイス経済に深刻なダメージを与えるだろう。足元では金融状況が一段と逼迫している。デフレにもかかわらず、スイスは相対的にかつてないほどビジネスにかかる費用が高くつく場所になるだろう。メーカーははるかに安いドイツの輸出品と競争しなければならない。観光業や金融業も打撃を受けるとみられる。より多くの市民が国境を越えて買い物に出かけるだろう。

 上限は持続可能ではないと判断したSNBにとって、市場の混乱を引き起こすことなく、簡単に上限を撤廃する方法はない。これほど思い切った方法でなければ、投機家につけいるチャンスを与えていただろう。しかしSNBは満足している場合ではない。スイスフランが一時3分の1も急騰したため、スイスの金融政策に対する信頼は大きく損なわれた。バランスシートがある時点で適切に管理できなくなることが露呈し、SNBが市場を力ずくで従わせることは今後難しくなりそうだ。

 SNBは今後の介入は変動が「分別がある」とみなせるかどうかによるとしている。15日の混乱を経験した今、それが何かを理解している者がいるかどうかは定かでない。

(2015年1月16日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

参考URL:http://www.nikkei.com/article/DGXMZO82002850W5A110C1000000