~堀江ゆかプロフィール~

 

こんにちは。

HSP未来ラボ所属

HSPメッセンジャー/スペシャリスト

堀江ゆかです。

 

HSP/HSCさんが自分らしく生きて

社会で受け入れられ、才能を発揮し

調和する世界を目指しています。

そのためにHSP/HSC(神経が細やかで感受性が強い気質をもった人/子)

の認知を広げる活動をしています。


>>HSP/HSCの特性【基本編】

>>HSP/HSCの特性【基本編②】

>>HSP/HSCの特性【番外編】

 

1978年生まれ

年齢イコール埼玉県在住歴の

生粋の埼玉県人

 

現在埼玉県のチョイ田舎で

多趣味で、優しくて、頭がよくて、面白くて、

ロジカルシンキングなバリバリ理系な

旦那さんと(もちあげすぎ?(笑))

 

まったく言うことを聞かない

自分大好きな多動でHSC(繊細っ子)の息子くんと

 

HSS型HSP(刺激追求型繊細さん)で

好奇心が旺盛だけど、繊細な特性をもつ

完全に感覚派の私と

 

家族3人で

天然素材のお家で楽しく暮らしています。

 

多動でHSCの息子に振り回されつつも

お気に入りのお家で

大好きなものに囲まれ

たまーに好きなキャンドルをつくり

パートをしながら

HSP/HSCの認知を広める活動をしています。

 

ちなみにうちの息子くんは

ちゃんと字を書く、時間通りに行動する

先生の話しをちゃんと聞く

授業中ずっと座っている

忘れ物をしない

どれも出来ませんでした。

集団行動がとにかく苦手です。

(※小学4年生から授業中ずっと座っていられるようになりました爆  笑)

 

けれども、算数の問題は解けるし

理科や社会のテストも悪くないし

漢字は苦手であまり書けないけど

読解問題は解ける。

 

そして人前で緊張しないし

好奇心が旺盛で物おじしないし

公園、川、海など楽しい時はいつまででも遊んでいるし

明石家さんまさんぐらいずっとしゃべれる(笑)

 

しかし、息子くんにとって理不尽なことには

すごく敏感に反応するし、肌は弱いし

小学生から花粉症だしすぐに熱が出るし

子育てがとにかく大変!!

 

予想通り小学校へ入学してから

まあまあ学校から連絡がありました。

連絡帳も赤文字で忘れ物を毎日のように書かれたり

 

しかし

我が家は旦那さんとよく話し合い

息子の個性をつぶさないように

でも他の子の影響も考えつつ

先生とやりとりするようにしています

(主に旦那さんがね)

 

この協調性を重んじる日本の義務教育の中で

多動でHSCの息子くんが個性をそのまま生かし

のびのびすごせるように対話を通して実践中

 

そんな折、HSPの概念を知り

今まで腑におちなかった自分や息子くんの

人と違うと感じていた特性が

「HSP/HSCだったからなのか~」と

点と点が全て繋がったのです。

そして、こんなにも安堵したことがなかったくらい

ほっとしたのです。

 

自分らしく生きるためには

自分の特性を正しく知ることがとっても重要です。

過去の私が苦しんだのは、自分のHSPという特性を知らず

周囲の期待に応えようとして

合わない環境に身を置き

大多数に合わせていたからでした。

 

それなので、過去の私と同じ様に

自分や子供のの敏感さ、繊細さ、感受性の強さで

悩んでいるならHSP/HSCの事を知って頂きたいです。

 

*****************************************

 

◆幼少期から大人になるまで◆

 

三人姉妹の長女として母親の里帰り出産の為

宮城県で生まれました。

この世に誕生してからすぐに「宮城県沖地震」に遭遇し

あと少しで家の柱が倒れ大惨事になるところだったそうです。

 

そんな圧倒体験を経て埼玉に戻り、

1.2歳の頃に同じ県内に引っ越した先が

HSP/HSCには過酷な“トレインビュー”という

線路沿いの一軒家でした。

 

母の期待に応えようと頑張ったのでしょう

妹達の面倒をよくみて

まったく手のかからない幼少期

 

しかし、小学生ぐらいから

だんだん生き辛くなり

小学校の集団生活がなじめず

繊細で傷付きやすく

ちょっと言われただけで泣いていました。

小学1,2年生は毎日のように

泣いて帰ってたそうです。

 

小学生の時は

勉強、運動、習い事

日々がんばり過ぎて

でも親に甘えられず

おねしょがひどかった!!

高学年までおねしょざんまい(笑)

 

そして、小学校6年生の時に

クラスの子からいじめられて

クラス中から無視されたりして

よく泣いて帰ったし、

本当に辛くて、学校をよく休んでいました。

 

母は学校に行きたくないという私に困り、泣きました。

母親を泣かし、困らせ

皆と同じように学校にいけない自分は

ダメな人間だと思っていました。

 

上手く人と付き合えず

そしてその後もよくいじめにあっていました。

 

死にたいと思ったことも何度もあります。

 

ずっと小学校で私をいじめた子を恨んでいました

私の人生を苦しくさせたのは

その子のせいだと

 

でも生き辛く、苦しかったのは

この子のせいではなく

合わない環境に身を置き

繊細で、感受性が豊かな自分の性質を

受け入れられていなかったからだ、

と気づいたのは

30歳も大分過ぎたころでした。

 

反対に2つ下の妹は

小さい頃はいつも私の後ろに隠れていて

あいさつもできないようなシャイな子だったのに

いつのまにか私から自立して

皆に愛される人になっていました。

 

それがうらやましくて

妹を分析しました。

 

妹を分析して分かったことは

いつも楽しそうで、余裕があったこと

 

反対に私は

いつもつんけんしていて

文句を言って、怒って、

すぐ泣いて自己嫌悪に陥るという

面倒くさいやつでした。

 

妹をまねること

そこから私の自分を変える旅が始まりました。

 

【パート2】へ続く