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海明さんのこのブログ。

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(ここはブログからの引用です)

 

 

それは、

石が生きているからだ。

 

 

爬虫類が皮膚呼吸するみたいに、

表面から大気の力を取り込んでいる。

 

 

だから、

高速研磨された石は窒息する。

薬品洗浄された石も同じ。

 

それは、アクセサリーとして

とても美しい石であるかもしれない。

 

 

私にはそういう石たちが、

野生動物の剥製のように見える。

 

 

ここを読んで、

ショックもあったけど、ああ、そうだろうなーと納得もした。

 

綺麗にピカピカに磨き上げられた石。

可愛くて手に取りやすくなっているけど、

その石本来のエネルギーは、もう失われてしまっているのかも。

 

 

剥製を飾るのなんて、

私にとってはオゾマシイことだけど、

 

ああそうか、

今から私が売ろうとしている、この可愛い石のタマたち、

これも剥製みたいなものなのか。

 

剥製だったら、もう死んで抜け殻だけど、

まだ生きていて、でも窒息しているなんて

苦しすぎるよ。

 

 

 

 

 

 

 

うーん、衝撃。

同時に納得。

 

これを読んだときは、

自分が今からやろうとしているコトが

「像を密猟して象牙をとって売る」と等しき行為に思えて

(実際そうかもだけど)

血の気が引いたけど、

 

 

それでも、

私はタマつくって売ろう!

ふつふつと湧いてきました。

 

 

 

海明さんの石を想う気持ちの大きさに

心が動かされて。

 

 

その真摯な思いに揺らされて、

自分のなかの、他の命を大事に扱いたい、という願いにも

敬意を払いつつ、

 

それでも作ろう。

 

 

 

お仕事を始める前に、

この「事実」を知ることができたのは、

幸せなことだと思う。

 

 

そして、

 

これを知った上で、私はこのタマを作って売る、と

選ぼうとしている。

 

 

 

えええ、じゃあ、

あなたは私たちに剥製を売りつけようとしているってこと??

っっっって、

読んでる人は思うよね。

 

 

うーん、

それはイエスでありノーであり。。

 

 

 

タマを持って生まれてきたから、

タマを作って売りなさい、

 

って、あるとき湧いてきて、

 

そっかーと思っていたら

今の14ミリ天然石ビーズに出会って、

その可愛さ愛しさにクラクラして、

 

 

このタマたちに、

私たちのところに宿った見えない命を乗せてもらおう、

って決めた。

 

 

ふと湧いてきた望みや夢、

見えない世界にはしっかり存在していて、でも

まだこの世に形として現れていない

衝動の命を、

このタマたちに乗せてもらおう。

 

乗せてくれるのは、

不透明な石

 

 

ひとつひとつの石というより、

翡翠とか瑪瑙とか、

そういう大きなグループの誰か?が

 

いいよ、

乗せてあげるよ

 

って答えてくれた気がしてる。

 

 

その石本来のタマシイが脇にさがってくれて、

スペースを作ってくれて、

そこに

「乗りなさい」

 

この世にまだ居場所がない衝動の命を

「乗せていいよ」

 

 

こう誘ってくれている気がしているのは、

もしかして私の「良いように解釈」したい気持ちのせい?

 

 

「きっとそうだ!」って

決めつけないで、

私の気のせいかも、って

今はまだグラグラさせておこう。

 

 

 

私の願いと、

石の命を大事に扱いたい願いと、

両方を叶えるのは無理かも、

他に「命の乗り物になるタマ」が見つかるかも?

 

今はまだ

不安定なまま、を選んで、

 

そこからしか生まれない、

タマを作ります。