前回の続きです。
「人はなんのために生きているのか」
→ この世界のすべてを受容するため
「受容」とは、受け入れること
人は人生を創り出しているように見えて、
実はその瞬間、目に見える世界は、すでに創られたもので、
それを「受容」しているだけなんだと思います。
そう書いちゃうと、ノーコントロールな虚しさを感じたりしますが・・
写真は、少し前に旅立ったCoco。
彼の病気もまた、もっと生きてほしい、と思うわたしにとって、ノーコントロールな事象でした。
地震や自然災害、人為的な社会情勢でも、、、大きな大きな圧倒的な力
それは、もう大きな大きな源の流れで・・・
暴力的なまでに一方的で、どうすることもできなくても
それでも生きている以上、生きていくんですよね。
不妊とか、病気とか、どうしようもできない性格とか・・・
いろいろ いろいろ ノーコントロールなこと。
わたし、「投影の法則」とか「引き寄せの法則」で、
一番違和感があったのってここなんです。
なんで地震が起こったの? → プレートが動いたから
じゃあ、なんでこの日、この時間、この場所で、この人が亡くなったの?
→・・・。
そこに答えなんてないんだろうな、と思います。
少なくとも、この次元で、この目に見える世界の法則の範囲では答えられない。
答えられないことは、答えられないままでいいと思うんです。
過去生も、ご先祖様との関係も、魂の試練的ななにがしかも、
インナーチャイルドも、内面の投影も・・・
無関係ではないのかもしれない。
だからって、この次元の限られた範囲で説明できることなんて、所詮、限られている
だから、なんでも説明する必要なんてない。
そもそも、説明できる言葉を、情報を、思考は持っていない
わたしたちにできることは
その上で、「どう生きるか」なんだと思います。
YUKA