(*´∇`)ノ    Yu-ju    &

るっちゃん です ♡ ฅ^._.^ฅ 


今日も奇跡のコースの学びと

ホーリースピリットからの

メッセージ&オラクルカードを

お届けします♡


今日もご覧いただき

ありがとうございます


この情報を必要とされるかたへ

届けられることを意図しております

サムネイル



今日のオラクルカード


私たち集合意識全体が今

受け取る必要があるメッセージを意図して

カードを引いています


真珠の女王


生まれ持った困難、逆境や苦境の奥には、素晴らしい価値と言う贈り物があります。困難は、人それぞれ与えられた成長に導いてくれると言うことを智慧であなたは知っていて、それを通じ、私たちは癒す方法を見つけることを設定しています。困難は魂の光を広げる方法なのだとわかっていれば、あなたはその受難に捕まらずに、あなたを成長させる光に包まれます。

天然の真珠は、外からの異物、例えば砂粒や寄生虫がカキの中に侵入したときにできるものです。美しい珍しい天然の真珠のように、あなたはこの世に愛を与えるための唯一の魂の美を持っています。経験したどんな困難も、あなたのスピリチュアルな変革を支え、成長するように助ける贈り物なのです。これに気づけば、問題への不必要なエネルギーを増やすのではなく、自分が育つ手助けをするために使うようになり、より素早く他の人に分け与えるようになります。

世界に愛を分け与えるために、あなたの魂が成長し、輝いて、美しいということに気づく時間です。これに気づけば、あなたが抵抗しているものは少なくなり、魂の光はより光輝くでしょう。


あなたの中で光輝く、

唯一無二の美しさに気づいてください。




奇跡のコース・テキスト第二章
Ⅴ.奇跡を行う物の機能 7〜10




テキストは難解だと言われていますが

意味が理解できなくても

ただ受け取ることだけを意図して

読み進めていってください。とのことです。

それでは今日のテキストです。


Ⅴ 奇跡を行う者の機能

7〜10(大内版)


★ 不快感は、修正の必要性を自覚させるために生じているに過ぎません。(7)

★慈善(慈愛・同胞愛)とは、他者を見るときに、時間の中で実際に達成した段階をはるかに超えた存在としてその人を見る眼差しです。(私は『真実のその人の光を見ること』と解釈しています。)(10)


(大内版での『慈善』は、奇跡講座では『慈愛』その他では『同胞愛』と書かれています。)


7、修正をもたらす学びは、常にスピリットの目覚めから始まります。これは多くの場合、恐れを引き起こします。なぜなら、霊的な視力が見せるものを、あなたは恐れるからです。前にも言いましたが、聖霊には過ちは見えません。聖霊には過ちを見過ごして贖いの防御線を見る能力しかありません。(聖霊は誤りを超えて贖罪という防衛を見ることができるだけ)これは疑いもなく不快感を生じさせますが、その不快感は、この知覚がもたらす最終結果ではありません。聖霊が汚された祭壇を見ることを許されれば、聖霊は直ちに贖いの方にも目を向けます。聖霊が知覚するものが何であれ、恐れを引き起こす事はありません。霊的な自覚から生じるものは、全て修正へと方向づけられるだけです。不快感は、修正の必要性を自覚させるために生じているに過ぎません。

8、最後に、癒しが必要だと言うことを無条件に受け入れたくない気持ちから、癒しに対する恐れが生じます。肉体の目に見えるものを修正することはできません。また過ちは、肉眼で見えるいかなる手段によっても修正することはできません。肉体的視力が告げることを信じている限りは、あなたの修正の試みは間違った方向に向けられるでしょう。真の視力は曇ってしまいます。なぜなら、あなたは自分の汚された祭壇を見ることに耐えられないからです。しかし、祭壇が汚されているため、そのことを知覚しないと、あなたは二重に危険な状態に陥ります。

9、癒しは分離の後に発達した能力であり、分離以前には必要ありませんでした。空間と時間に対する信念のすべての側面がそうであるように、癒しも一時的なものです。しかし時間が存続する限り、保護する手段として癒しが必要です。その理由は、癒しは慈善(慈愛)に基礎を置いているからです。慈善は、自分自身の中に完璧さを知覚できない場合でも、他の人の完璧さを知覚する方法です。今のあなたに可能な比較的高貴な概念のほとんどは時間に依存しています。あなたが現時点で想像できるいかなる形の慈善をも凌駕する強力な包含性を持った愛が存在し、慈善は実はそのささやかな反映に過ぎません。今達成できるレベルと言う限定された意味において、事前は正しいマインドの状態にとって不可欠です。

(奇跡講座9、癒しは分離の後に生じた能力であり、分離以前には不要であった。空間と時間と言う信念のすべての側面と同様に、癒しは一時的なものである。しかし、時間が続いている限りは、癒しは保護の手段として必要である。この理由は、癒しが慈愛に依拠しているからであり、慈愛とは、例えばあなたが自分の中に完全さを知覚できなくても、他者の完全さを知覚する方法である。今のあなたに思いつくことのできる高邁と呼べる概念のほとんどは、時間に依存している。慈愛とは、実際には、もっと強力な愛の包括性が、かすかに反映されたものであり、そうした愛の包括性自体は、今のあなたに思い描けるどのような形の慈愛をもはるかに超えたものである。慈愛は、今すぐに達成できるという限られた意味において、正しい心の状態にとって必要不可欠なものである。)

10、慈善(慈愛)とは、他者を見るときに、時間の中で実際に達成した段階をはるかに超えた存在としてその人を見る眼差しです。その人自身の思考に欠点があるために、その人は自分のための贖いを見ることができません。もしそうでなければ、その人は慈善を必要としないでしょう。その人に与えられる慈善は、その人が今、助けを必要としているということの承認であり、その人がそれを受け入れるだろうと言う認識です。これら2つの知覚は時間に依存していることを暗示しており、慈善がまたこの世界の制約の中にあることを明らかに示しています。啓示だけが時間を超越すると私は前に言いました。慈善の表現としての奇跡は、時間を短縮することができるだけです。しかし、あなたが奇跡を誰かに差し出す時は、常に、自分と相手の双方の苦しみを短縮していることを理解しなければなりません。これによって、修正が現在から未来にわたって行われるだけでなく、過去にさかのぼって行われます。




《テキスト精読》大畑版


「肉体が学ばないのは、肉体が創造しないのと同じである」ということは再び強調されてしかるべきだ。簡単に言えば、肉体は学びもしなければ創造もしない、ということ。肉体は学びのための補助装置であって、学ぶ本体ではない。

しかし、ここで当然、肉体はりっぱに創造するではないか、という反論が出るに違いない。たとえば、バレエは肉体の芸術であって、芸術は創造そのものであると。しかし、これが、ACIMの言う"level confusion"「レベルの混乱」を生み出す要因である。心のレベルから見れば肉体は幻想であるから、肉体を使うバレエは夢の中のパフォーマンスであり、その意味では幻想である。肉体レベルのバレエは真の創造ではない。しかし、バレエによって表現されたものが、肉体という範疇を越えたとき、つまり、心のレベルに昇華されたとき、バレエは真の芸術として実相的な創造となるのだ。

バレエに限らず、あらゆる芸術は肉体のレベルを超越して心のレベルに到達しない限り単なる幻想であり、いわゆる疑似芸術に過ぎない。その意味で、真の芸術は神へ至る崇高な道程だと言えるかもしれない。

「学びのための補助装置として、肉体は学ぶ者に従う。しかし、肉体が誤って自主性を与えられたら、それは、まさに肉体が手助けすべき学びにとっての深刻な障害となる」。幻想の肉体が実在だと信じて、心がそれに付き従うというレベル・コンフュージョンを諌(いさ)めているわけだ。主客転倒はいけない。

健全な肉体に健全な精神が宿るという肉体至上主義的な発想は危険過ぎる。これが正しいなら、病や障害をもった肉体的な弱者はすべて精神的な弱者になってしまうではないか。

あくまでも、実在の心が主導しなくてはいけない。幻想の肉体は心の学びの補助装置であって、命の主体ではない。肉体が心の制御を無視して暴走してはいけないのだ。深刻な障害(serious obstruction)が発生する。

「心のみが光り輝くことが出来る」。肉体ではなく心が真の創造を行うことが出来、命として光り輝くことが出来る。「スピリットはすでに光り輝いているが、肉体自体は密度が濃過ぎて輝くことは出来ない」。エゴの支配から解放され、肉体を脱した心がスピリットである。このスピリットが実相的な命の光を放つ。

実相世界は純粋な想念の世界であり、時間も空間も存在しない。したがって、時空間に依存した電磁波としての、この世界の光は存在出来ない。つまり、実相世界には振動するエネルギー体は存在しないのだ。しかし、実相を説明するには、比喩的に振動数という概念を用いれば理解が深まる。たとえば、気体としての水蒸気は水分子が激しく振動しており、その振動数が減衰してくると、液体の水になる。さらに水分子が振動数を減らすと、氷という個体に層転換する。密度が濃くなるのだ。これと同じように、比喩として、想念の振動数を考えればいい。非常に振動数の高い想念が真の心であるスピリットであり(いわゆる水分子の気体状態)、この高振動が光を発する。スピリットが振動数を減衰させると一般的な心となり(いわゆる液体状態)、その心がさらに振動数を減らすと密度が高くなって肉体になる(いわゆる固体状態)。もはや光を発する振動数をもつことは出来ない。

ACIMは、心が肉体という幻想から目覚める過程で、『光のエピソード』に遭遇すると言う。物理科学では説明出来ない光を見たり光を発したりすると言う。俗に言うオーラという光現象と関連があるのかどうかはわからない。しかし、関連性は不明ではあるが、もしオーラが存在するとしたなら、オーラは肉体から発するととらえるべきではなく、スピリットがオーラという光を発しているととらえるべきだろう。



奇跡のコースの原文は英語ですので

訳者によって、表現に違いがあります。

各先生方のテキスト翻訳の

URLも載せてありますので、

是非、参考になさってください。


文章・URL等掲載させていただきました各先生方に

心より感謝致します。



《奇跡のコース原典精読》

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神の平和は

今、私の内で輝いています

その平和の中で全てのものが

私を照らすように

そして私に

自分の内なる光で

全てのものを祝福させてください




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差し上げておりますオリジナルエナジーカードです✨




HSいつも導きをありがとう (❛ᴗ❛人)✧

いつも皆様の光と繋がり

愛を広げることを意図します


では、みなさま、今日も

ホーリースピリットと一緒に

素敵な1日を!


感謝を込めて ♡ Yu-ju  &  るっちゃん