今日は秋篠宮の長女真子さまが小室圭さんとのご結婚発表された。交際宣言をされてから8年くらいの長きを費やしての結婚発表だった。この間、小室さんご母堂の金銭問題などがあって心労が絶えなかったものと思うがよく辛抱されゴールされて良かったと思う。
 皇室に限らず公人に近い人たちにとってはネットなどのツールが発達してしまったため何事にも自由度が大きく制限され生きにくい世の中になってしまったことは確かである。
 

便利ツールとして開発された道具によって活動にも制約や制限が生まれることになるから《利便性の発達=不自由さの増大》という二律背反現象が起こってきてしまう。
日本の社会構造を観ていても戦前までは旧封建制度時代のしきたりや徒弟制度のようなしきたりで社会自体が動いてきたものが第二次大戦後は一気に戦前あった封建社会・徒弟制度が消滅、なんでも自由、という拘束性の少ない社会に変容してゆくのである。これはこれで多くの弊害をも誘発させる要因になっていて「自由」という名のもとに社会のあらゆることがルール化され人間が本来有する斬新な発想や(良い意味での)奔放さ、粗削りでも大胆な発想、という「可能性」や「魅力」といったものを削いでゆく元凶に繋がってゆくことになった。元来、こどもたちは自分の未来・将来に「夢」を描いて成長してゆくものなのだが彼らが語る「夢」にはいわゆる「夢」が無く現実社会という「枠の中」で描く夢へと変質してきてしまっているような気がするのである。

 

その結果こじんまりまとまってしまった大人が大半を占め人間自体がまるでオセロのセルのように型にはまった同質のロボットみたいになってしまうのである。これでは人間も社会も発展するわけがないのである。その象徴的現象が政治家だ。政治は国と国民を豊かにするために司られなければならないものである。しかし今の政治家たちには国や国民の将来あるべき姿を声高に訴える者が皆無である。権利だけを持ちたい、地位を守りたい、財力を持ちたい、といった「個」に帰することばかりに執着・腐心していてとても国や国民・国防を考えて活動しているとは思えない輩ばかりである。政治家自体がこのありさまだから国も人心もよくなるはずもなく人は我勝ちに「個」にはしり自分さえよければそれでよい、という考えになってしまうのである。

 

今月末には衆議院議員選挙がおこなわれる。コロナ禍により対策に失敗した菅政権と新しく生まれた岸田政権に対する国民の評価が問われるわけだ。野党がしっかりしていれば野党に勝ってもらい新たな政権運営を委ねたいところだが脆弱で運営経験のない烏合集団でしかない野党ではとてもではないが政治は任されない。腐っても今の自民党政権が当面の運営に当たってもらう方がまだましだろう。野党は維新の会が野党全体を糾合して一体となり自民党に対抗する勢力を構築して対峙する以外この国の政治は改革なんて出来っこない、と断言できる!こんな時代だからこそカリスマが必要なのではないか?