「遺言」と聞けば、多くの人がまだまだ無関係だと思ってしまいます。
ところが、いつ死ぬかを知っている人はどこにもいません。
今日の仕事を終えて、「絶対、無事に家へ帰りつける」と思っていても、残念ながら“絶対”という保証はないのです。
頭上から物が落ちてくるかもしれません。
クルマが歩道へ飛び込んでくるかもしれません。
イライラを募らせた人から理不尽な攻撃を受けるかもしれません。
御巣鷹山へ墜落したあの日航機を思い出してください。
社用のために東京へ向かったビジネスマンたちは、自分の乗った飛行機が墜落するなんて夢にも思っていなかった。
わかっていたなら、乗るはずがありません。
墜落するまでの約30分間、飛行機はダッチロールを繰り返します。
その機内で、ビジネスマンたちがとった行動をご存知でしょうか?
激しく揺れる機内で彼らは手帳や書類の裏に、家族へ宛てたメモを記したのです。
妻に向けて「ありがとう。子供たちをよろしく」と、息子や娘には「愛している」、「強く生きてくれ」と。
本来なら、自分の生き方まで伝えたかったはずです。
それができないのならと、せめて自分の気持ちを遺そうとしたのです。
やがて、大惨事の現場で、いくつかのメモは奇跡的に焼け残っていました。
これは立派な遺言だと、わたしは思っています。
いくら背を向けても、いつもあなたの隣にいる。
それが遺言です。
しかし、それは忌み嫌うものでも、決してネガティブなものでもありません。むしろまったく逆に、遺言としっかり向きあえば、明日を悔いなく生きるための大きな力が得られます。
遺言を書くという行為には、これまでの自分の人生をみつめなおす作業が欠かせません。
人間は独りで生きているわけではありませんから、人生をみつめなおすことでさまざまな人とのかかわりが見えてきます。
そこから、「だれに、なにを、遺したいのか」を具体的にしていくのです。
いま在る自分にまで到達したとき、おのずと「やり残したこと」や「やりたいこと」が見えてきます。
そう、これからを悔いなく生きるための「目標」ができるのです。
ですから、遺言を書くのに適齢期はありません。
遺言を書くべき、あるいは書くのにふさわしい年齢は、「書いてみよう」と思ったときと言えます。
欧米のように、若くても、財産がなくっても、後世に「人生」という無形の財産を遺し、伝えることで、家族の歴史は創られていくのです。