白馬岳の冬の写真です。

昨年6月、東京での会議を終えると、「あずさ」に飛び乗り、午後7時過ぎに白馬村に着きました。今年もいきたいなあ、と思いながらの投稿です。

上の写真は6月、下の写真はかなり以前ですが1月の写真です。

しばらく練習を兼ねての投稿となり、他愛のない内容となると思いますが、ご容赦ください。

 

 

 

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本当にしばらくぶりの更新です。

パスワードさえ忘れてしまうほどでした。

FBに没入してしまい、ブログを粗末にしてしまいました。

これからぼちぼち更新しも努力したいと思っています。

しばらくぶりなので編集も忘れがちでした

 

 

 

 

 9月4日、午前4時頃目を覚ました。穂高の眺望はいかに?と思い、小屋から出る。しかし、昨夜と変わらずでした。

 朝食は5時半、その前にコーヒーを注文したが、思いの外美味しかった。朝食には順番がなく、食堂にきた人達が積極的にご飯を盛りつけ、みそ汁やお茶を同じテーブルの方々のために用意してくださる。黙々と食べているが互いに連帯感を感じつついただく。

 

 朝食終了後、外が何かと慌ただしい雰囲気になる。外に出てみると雲が切れ始め、穂高や槍、前常念等の偉容が姿を見せ始めた。すぐ、寝床に戻りカメラを持ち出し、戸外に出た。

                                   

 

 「これが山だ」と高まる気持ちを感じつつシャッターをおす。

2500㍍前後に雲がたなびき、穂高連峰、槍ヶ岳の頂を際だたせてくれる。山そのものもいいが、山々にまとわりつく雲があって、一層山が際だつ。「これを見たいがために6時間の苦行に耐えてきたのだ」と自分を褒める。自分を褒めることの出来る感覚を実感することができるのが、山体験でもあろうか。

                                        

 

 頼んだ昼弁当をいただき、下山準備を始める。

同床の方はもう下山開始。スポーツドリンクを一本補給し、蝶ヶ岳頂上に向かう。頂上で普段はお願いすることがほとんどないが、自分を入れた写真のシャッターをお願いした。

 

 

 頂上で10分ほど、眺望を楽しみ、別れを惜しみ、そして下山路に入る。長塀山までは比較的平坦な山道をのんびりと歩く。

途中登山道を示すマークや赤布には、歩みを止めて確認しながら歩を進めるように心がける。一本道のようであるが、慎重に歩を進める。○○の池を過ぎ、「ああ地図の通りだ」と確認し、更に歩を進める。昨日、標高差1000㍍に耐えた膝や大腿筋の状況にも気を配りながら樹林帯の中をマイペースで下山する。

 約20年前、雨の中雨具を付けながらの下山場面を想起しようと心がけるが、その場面を呼び起こすことは難しかった。

 

 下山開始から3時間半を過ぎた頃から、大腿筋の疲労を感じるようになり、小休止の回数も多くなり始めた。次々と下山する方々を見送り、時には登ってくる人にも道を譲りながら小休止する。

 下山路でも、初めは蝶ヶ岳まで何キロの標識が多かったが、徳沢まで2キロの標識を見つけ、安堵の気持ちになる。

しかし、あと2キロが難行でもあった。ゆっくり、マイペースに心がけながら歩を進め、徳沢園の建物が見え始めた時、喜びを実感。

 

 徳沢の広場が天国のように見えた。

疲れているのだろうけど、疲労感や苦しさはない。

徳沢ロッジにたどり着き、預かった荷物を受け取り、ロッジのベンチをお借りして、着替えをし、「徳沢ビール」を飲み、昼食をとり、

リュックの入れ替えをし、午後1時過ぎ徳沢に別れを告げた。

 

 徳沢から明神へ向かう人々、みなさん元気いっぱい。

次々と私を追い越して行く。「バスの時間に合わせて急ぐのだろうか?」と思ってしまうほどだ。

ノートPCも入れたリュックの重さを肩に感じつつ、明神に辿りついた。上高地の今夜の宿、西糸屋山荘に電話を入れ、予約OKに安心。ソフトクリームで元気をつけ、明神橋を渡って上高地に向かう。午後2時前なので、敢えて長い距離である対岸コースを歩く。明神池や嘉門次小屋にも寄りたかったが、リュックの重さに負けてパス。このコースは木道が多く心地よい。

 

 上高地まで後2キロという地点のベンチに腰を下ろした。

私より高齢と思われる方も小休止し、会話となった。

この方は89歳とのこと。私の亡くなった兄より1歳うえだ。

急に親近感が湧く。5分少々の会話でしたが、二人切りの会話は心に残る。氏は若い頃肺を切除する病を患ったそうだ。

「年に一回でも、上高地の散策路を歩くのが、私の願いなのです。今回も来れたことをとても嬉しく思うのです」と語ってくれた。

そうしたご自分の願いを初対面同志で語れるのも上高地故かな?

と清々しい思いもした。

また氏は、私の兄の旧制中学時代の話に関連して

「旧制中学校、私たちが最後の予科練志願兵でした」とも語ってくれた。お名前も証さず、お互いに健康に留意し合いましょうと、別れた。心地よい邂逅であり、別れです。

 

 河童橋周辺は、やはり人が多い。何か別世界にきたようだ。

午後3時、西糸屋さんにチェックインし、早速コインランドリーに行った。言葉から推察して秋田県の女性のように思う。洗濯機は既に回転していた。本日の私の部屋にはまだ、宿泊者いなかった。8人部屋でした。西糸屋さんはこれで何度目だろうか?

1作年も西穂高の帰りお世話になった。

妻と一緒の時もお世話になった。4度めかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前と形式が異なって、まだ画像の入れ方がわかりませんので、画像なしの書き込みですみません。

 

 9月3日、夕食後もヒュッテ外に出てみましたが、周囲の山々は雲の覆われ、夕景は無理と判断し、ヒュッテに入りました。

                                                 

食堂の収容人数の関係で何度かに分けて夕食をとるのは、どの小屋も同じです。私たちは一番最初に夕食を終えましたので、食後ヒュッテ内を見てまわりました。

シーズンを終えようとしているためか、3階にある個室(1~2人用)への階段は利用できないようになっていましたので、この時期は開放しないのでしょう。

 北アルプスの山小屋は、最近個室を備えたところも多くなりました。個室は眺望の良い箇所にあります。

2階の個室群はグループ希望者向けのようで6~8人くらいの定員のようです。かって、北アルプス燕山荘で一度だけ個室を利用させていただいた経験があります。費用も1・5倍くらいでした。

 

 割り当てられた寝床に戻り、札幌からの登山者との山談義は楽しいものでした。

氏はまだ北アルプス裏銀座と言われる山々の経験がないようでしたので、私の双六岳、三俣蓮華岳、鷲羽岳等の思いで話に興味をもって聞いていただきました。

 私は氏に、小池新道を切り開いた小池さんや三俣蓮華小屋を守る伊藤さんの話など、知っている範囲で話し、登山道を切り開くことや山小屋を開設し、維持していくことの文化的意義について感じていることを話しました。

 登山の歴史と登山文化のようなものを感じるのが、北アルプスの山行です。

学校登山の継続、北アルプス山々の開山、山岳信仰や山岳文学等は北海道ではあまり感じられないこと。

 また山河から名づけられた日本酒、白馬錦、立山、妙高山、八海山、大山等々生活と山岳の結びつきが生活をより豊かにしていると思うのです。

 

 そんな話をしているうちに、廻りの方々の多くが寝入っていることを知り、睡眠を妨害しないために、私たちも8時前に寝ることにしました。寝る前に、私の山小屋での暮らしの最大関心事であるトイレを見ることにしました。

懐中電灯を持ち、戸外のトイレに行きました。

 どの山小屋も一番力を入れていることがトイレ問題です。

多くの山小屋は近年バイオトイレを採用しています。

蝶ヶ岳ヒュッテの屋内トイレは、午後7時から明朝6時までの使用時間で、使う毎にチップ要請はどの小屋も同じです。

 バイオトイレでは、水洗ではありませんので臭いの問題はありますが、以前より安心して利用できるように思いました。

 この日は日本酒を控え、明朝の晴天と明日の下山の無事を願って午後8時頃寝入りました。

 

 

しばらくぶりの更新となりました。 

(画像は上高地から見える西穂高?一昨年西穂高独標手前まで行った

 

昨年秋に左膝を痛め、半ば諦めていた北アルプス行きでしたが、病院には頼らず、独自に訓練を続けてみました。近くの山々に行き、旭岳登頂も出来るようになったので、一昨年以来の北アルプス行きを試みてみました。

 

 9月2日の午前0時10分発、新千歳空港発羽田行きにのり、午前2時前に羽田国内ターミナルに到着、国際ターミナルで約3時間床上で仮眠し、夜明け待ち、始発のモノレールに乗り、新宿南口の高速バスターミナルに行きました。

 上高地線は予約で満杯、7時15分発松本行きに乗車、松本には10時半に到着。

すぐ、松本電鉄で新島々へ。上高地で簡単な昼食をとって、徳沢ロッジに入ったのが、午後3時過ぎ。今まで何度かお世話になった徳沢園は、この日満室で予約できませんでしたが、徳沢ロッジも改装してリニューアルし、快適な一夜を過ごさせていただきました。

 

 夕食で、イワナの塩焼きが美味しく日本酒を注文しましたが、日本酒好みの方との談笑が弾み、夕食後も談話室に移動して話し込みました。なんと静岡県藤枝市の方ですが、約10年間札幌勤務を経験した方で、明日は徳沢から蝶ヶ岳に登り、横尾に降りる予定という。私と逆コースとのこと。

 

 9月3日、午前6時に朝食。昼弁当をつくっていただき、ノートパソコンなどを預かり、7時5分に横尾に向けて出発。横には8時過ぎに到着しました。相変わらず横尾はにぎわっています。多くの方々は横尾大橋を渡って、涸沢に向かうか、直進して槍が岳に向かう方々です。

 横尾山荘を過ぎてすぐ右手に槍と蝶が岳の方向を示す案内を見つけ、8時30分いよいよ蝶が岳への挑戦が始まりました。                   

 

 しばらく比較的歩きやすい道が続き、「槍見台」ベンチから、槍の穂先と奥穂、前穂等が見え、気持ちよく登れました。登山道で初めて会ったのは下山する方でした。

その後、何人かの方々が私を追い越して行きます。やはり若さにはかないません。

40分~60分ごとに小休止し、水分補給に心がけました。心地よい発汗です。

2時間ほど登った地点に到達したとき、下山される方に、「なんちゃって槍見台はもう少しですよ」と励ましていただきました。みなさん、とても親切で友好的です。

 

 樹林帯の急登が続き、何度も「アノ先が森林限界か?」と思わされながら、12時前後に、常念の分岐にたどり着きました。3人の青年たちが休憩していたが、彼らは途中で私を追い越して行った方々でした。昼食を取りながら、談笑。

 年齢を聞かれ、78歳と応えると「うちに親父は74歳だけど、絶対無理!」という。

                          

 

 昼食後、稜線つたいに蝶ヶ岳ヒュッテに向かう。20年以上前に、燕岳ー大天井岳ー常念岳ー蝶ヶ岳を縦走し、蝶ヶ岳ヒュッテに泊まったが、あの時は今回に比べて天気も良くなかったように記憶している。この日は穂高連峰の図体はみえるが、頂上は姿を現さなかった。

 

 午後2時過ぎにヒュッテ到着。早速宿泊手続きしたが、部屋の案内前にビール台大ョッキで「蝶ヶ岳ビール」をイッキに流し込む。うまい!

体内から汗を絞りきっただけに、体中にビールが染みいるようで心地よい。

 

 9月に入るとやはり登山者は少なくなる。

3人と見られる寝室に二人と、ゆとりある休憩空間提供に感謝。

隣の方が先着していたが、なんと札幌市厚別区の方でした。50台の働き盛りを感じる方で、新千歳空港から成田空港にLCCを利用し、3千円台できたという。

この山に来る前に、槍や穂高にも登ってきたという超人である。彼は百名山踏破を目指いるとのことでした。夕食は午後5時。私の夕食番号は48番目。

                                             (続きは後日)

 

 2016年の幕開けです。

今年は、7月に参議院選挙があります。

私の住む札幌では一部の区域が該当しますが

衆議院北海道5区補欠選挙もあります。


 選挙の結果次第では、一気に憲法改定へと突き

進むことになりかねません。

戦後70年続いた今の日本国憲法体制が変わると

予想されますが、今より平和主義を前進させること

にはならないことだけは確かと思います。


 私は昭和20年4月に国民学校(小学校)に入学し

ました。生まれた時、すでに戦時体制になっており、

3歳の時に太平洋戦争がはじまりました。


 ですから、周囲の大人たちは次々と戦地に向かい

ました。兄は旧制中学から予科練に志願しましたが

幸いにも担任が願書を母に送り返しました。


 兵士としてなる叔父たちは次ぐ次と兵役となりました。

そして海軍兵となった叔父たちは生きて帰ることはあり

ませんでした。

帰還した叔父の一人は、広島で入市被爆をして帰り、

その後死去しました。原爆認定もされないままに。


 父は兵役ではありませんが、ソ連参戦後戦場となった

地で急病にかかり、隔離されたテント内で死去したとの

知らせが1945年11月に届きました。


 私の昭和20年代前半はこうした中で過ぎました。

先日、地元発行のある機関紙に


『父、叔父、兄たちを再び戦場に送るな!』


と題する文章を書きました。

高齢の身となった私が、子どもに立ち返っての思いを

2016年の年明けにあたり、書き記しました。



 

 「市民連合」という名称の団体が続々出来る感がある。

歓迎すべきことと思いつつ、少しばかり懸念も感じる。


 小さな記事だが、私の懸念に応えてくれる発言が掲載。

しんぶん赤旗3面「関西の学生連帯をもっと」いう見出しの記事、

思想家内田樹氏や精神科医香山リカ氏等との対談記事です。


 そこでは、サドル(民主主義と生活を守る有志)の橋本真菜さん

(28歳)の発言が手厳しい。


「若者への期待が寄せられるが、上の世代に届く言葉は上の世

代がつくれる」


と控えめに発言している。


 その通りと思う。


 概して上の世代のアベ支持率が高いことに対する若者たちの

苛立ちのように私は思う。

内田氏、香山氏を含む学者研究者、私たち高齢者は、現状の

「高齢者連合」に「自己満足」し、過剰に若者への期待を語りがち

と思う。

私たち自身がより進化した「高齢者市民連合」として自己変革し

その姿を若者たちに可視化出来るなら、若者にも新たな激励と

なるのかも知れないと思うのだが?


 高齢になった学者・研究者には、その自覚があるのだろうか、

と余計な心配もしている。



 夫婦別姓等に関する最高裁判断がかなり注目を集めて

いた。


 時代の趨勢から違憲判決が当然視されていたと思うけれど「さにあらず」という結果でした。


 再婚禁止期間に関してだけ「ちょこっとまともな判断」をし、別姓に対しては「意気地なし最高裁」を露呈!中央大学の山田教授は「社会の同調圧力の象徴」といい、元最高裁判事の泉徳治氏は「裁判所の役割発揮せず」と断じる。アベの顔色を伺いながらの最高裁のよう。女性最高裁判事が3人とも「違憲」としたのが、せめてもの救い。


                              (本日の朝日新聞から)



 しんぶん赤旗に出版のお知らせがあったので、数日前に

FAXで注文した。


『福島から伝えたいこと』


第三集が本日届いた。


第一集発行が2012年4月、

第二集発行は2013年3月だ。


そして第3集発行まで2年半経過している。

この2年半という時間、福島の教師たちの混迷の深さを思わず



にいられない。

私の勝手な推測だが、この間様々な葛藤や苦悩があっただろう。


サブタイトル

『希望は闘いの中に』


がそれを物語っているように思う。

福島県立高等学校教職員組合女性部が発行している。      

 平和安全保障法制(戦争法)反対をめぐる運動から学んだ

最大なものとして、野党共闘があると思う。


 全国各地で、「野党は協力せよ」の声は日に日に高まりを

見せている。

 町村元衆議院議長の死去に伴い、北海道5区は来年4月に

選挙が行われ、野党共闘の試金石として注目されている。

「戦争させない北海道1000人員会」という団体に所属する元札幌市長などが、動きを強めているが、その結果、彼らが推す候補は民主党の役員で、先の選挙で落選した女性である。


 私は元札幌市長という知名度に乗っかって、彼と同じ動きをし

ている人たちの見識を疑っていたから、このような結果になるだ

ろうと予測してた。


 東京や各地の動きを本当に、札幌元市長などは学んでいるの

だろうか。「野党共闘」を進めるということを安易に考えている結果がこうした事態に至っているのだと思う。

 それぞれの個人、団体、政党の存在が尊重され、対等平等の

精神を本当に貫きながら、協議を進めることに欠けた結果だと思う。


 しかも選挙5区の有権者の思いがどう尊重しているのかも

不明である。既に8月に立候補を表明し、運動を続けている

方に対する働きかけ、その方が所属する政党への真摯な働き

かけなど、しているのか、していないのか、少なくとも今回最も

大切になければならないのが、民主主義だから。

今までの選挙との違いを実践しないと勝てないだろう。