桃太郎論文の第2弾。
桃太郎は言わずもがな、桃から生まれてくる。
では、
なぜ、桃なのか?
今回はこの点を検証して行きたい。
室町時代に作られたとされている、桃太郎という話、当時の人たちはなぜ桃を選んだのか。
その理由を検証してみてみると、意外と面白い事実が明らかになり、ますます桃太郎という話が面白くなる。
こちらも、前回の桃論同様に、創作当時のことは全くわからないので、結論から言うと、全て推測でしかないが、
いろんな観点から得られる結果に、なるほど!と納得するところがあるので面白い。
今回は3方向から導き出してみたい
まず1つ目、
陰陽五行説
前回の「なぜ桃太郎のお供は犬と猿と雉だったのか」にも関連している、五行から説明できるもの。
前回記事はこちら → なぜ桃太郎のお供は犬と猿と雉だったのか
十二支を使った方位、西側に「申・酉・戌」が配置されており、五行でいうと「金」
果実で「金」に属するものは「桃」
同じ属性にするために「桃」にしたのではないか、という考え方。
ただ、これは前回も記した通り、微妙な方位のズレや、黍問題があるので、説得力に欠ける。
2つ目、
桃とお尻の形が似ている説
「桃尻」というように、桃はお尻の例え表現にも使われるほど、その形が似ている。
女性の腹、尻などを含んだ下腹部エリアから子供が生まれるということを考えると、そのエリアを桃に例えたという可能性も考えられる。
これは、馬鹿馬鹿しいと捨てるわけにもいかない。
というのも、室町時代に桃太郎の話が作られた時、今のように「桃から生まれた桃太郎」というわけではなかった。
詳しいことはまた別のところで書くことにするが、いろんな事情があって、おばあさんとおじいさんが若返り、その夜に子供を授かった。
若返ったおばあさんの腿(もも)と腿の間から、という語感の響き、そして尻の形、と考えれば、馬鹿馬鹿しいが「桃」は納得がいく。
生々しさを避けて、果物の桃、に置き換えた可能性。
ないとも言い切れない。
そして、最後3つ目、
果物適合テスト
子供が果物の中に入っているという、よくわからない状況を大前提として受け入れた場合、
直接入っていては、果汁や果肉まみれになってしまい、ふやけてしまうなど、問題が起こりそうなので、種の中に入っていると考えたほうがよさそうだ。
そうすると、種がある果物でないと始まらない。
そこで、いろいろな種のある果物の可能性を考えてみたいと思う。
・柑橘類
種がない場合もあるし、いっぱい出て来る場合もある。
種がなければないで、物語が進行せず問題になるし、種がいっぱい出て来たらそれはそれで、蜜柑五郎やら蜜柑九郎まで誕生してしまって、家計的にも結構な危険にさらされて問題になってしまう。
柑橘系は、賭けの果実。
・栗
栗太郎という響きはなかなかいいが、そもそも、あの食べることができる部分が実なのか、種なのかいまいちわからない。
あの部分は、稀に2個があるらしいが、基本的には3個出て来るらしい。
ということはこちらも、双子か三つ子になってしまう。
・柿
桃太郎のパロディ作品で柿太郎という話があるが、基本的に柿の種は8個なので、こちらも安定はしているが、確実に柿八郎まで登場してしまう。いろいろな役割が8人に与えられて旅をするという話は面白そうだが、ちょっと話がずれて来る。
・スイカ、メロン
もう大変。子供の数キリがない。少子化には最適。
そう考えると、意外と種が1つの果物が少ないのでは?
と思いきや、意外と多い。
例えば、
マンゴー、アボカド
ただ、これはこれで問題がある。
マンゴーは種が細長い。
となると、子供は横に寝転ばなければならない。
生まれる前から肘をついてゴロンとしているグウタラ息子になってしまうという問題がある。
これでは不健康で、弱そう。
次にアボカド。
この種は申し分ないほどにまん丸い。
この中なら胎児のように気持ちよく収まることができるのではないか、と思いきや、名前がアボカド太郎となってしまう。
これは日本を代表する物語には実にふさわしくない。
そもそもアボカドが日本に入って来たのは今から1900年代初めで、日本ではまだまだ新しい果物なので、あんまり説得力がない。
では、種が1つの果物って、桃しかないのでは?
と、あんまり思いつかない人も多いが、意外にも他にたくさんある。
例えば
バラ科サクラ属には種が1つの果物が多くあり、
桃、梅、杏(アンズ)、季(スモモ)、桜桃(サクランボ)、ネクタリン、プルーン
と数多い。
ネクタリン太郎、プルーン太郎は置いておいて、
梅太郎、杏太郎、季太郎、桜桃太郎、名前もなかなか和っぽくていい。
では、この種1つ果物の中で、なぜ桃でなければならないのか、を効能の面から検証してみたい
仙人の果実
桃は中国から日本に入って来たもので、本家中国では昔から、邪気を祓うと考えられており、「不老長寿の実」とか「仙人の果実」と呼ばれている。
中国では、今でも結婚式などのお祝いには、桃の形をした饅頭を食べる習慣がある。
具体的には、桃の実は老廃物を排出し、若返りの効果があり、病気を防ぎ、災厄を寄せ付けない、という効果があるらしい。
また、ペクチンが多く含まれているので便秘の解消に効果的だったり、魚の食あたりには解毒効果があると言われている。
さらに、桃の葉は、子供のあせもやただれを治すのに効果があり、桃で作られた弓矢を射ることは悪鬼除け、桃の枝を畑に挿すことは虫除けのまじないとされている。
一方、日本でも、古くから邪気を祓うと考えれており、「古事記」では伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が鬼女・黄泉醜女(よもつしこめ)に追いかけられるシーンでは、桃を投げつけて退散させるなど、神聖なものと考えられている。
これらをまとめると、
桃は老廃物を排出し、病気を防ぎ、災厄を寄せ付けず、便秘を治し、解毒効果があり、あせもやただれを治し、悪鬼除け、虫除け、魔除けをし、
古事記や日本書紀にも、魔除けの実として登場するほどの説得力を持ち合わせている。
つまり、あらゆる「鬼」を退治する「実」なのである。
こう考えると、桃以上に神聖で、効能が高い果物は他にはなく、
なぜ桃だったのか、という理由は、意外としっかりとした根拠があるように思える。
以上、なぜ桃だったのか、神木優なりの解釈でした。