大バッハのチェンバロ協奏曲について第1番から番号順に書いてきました。
順番通りに,今回はチェンバロ協奏曲第6番へ長調BWV1057について記します。

チェンバロ協奏曲第6番へ長調BWV1057は,ブランデンブルグ協奏曲第4番ト長調BWV1049からのリメイクです。
原曲があまりにも有名すぎるので蔭に隠れてしまいますが,どうやら大バッハは手元にあったありとあらゆる自作の協奏曲をどんどんチェンバロ版にリメイクしていたらしいことがうかがわれます。
リメイクに当たって,さすがにブランデンブルグ協奏曲集の浄書された献呈稿は,大バッハの手元にあったはずはありません。
現代のようにコピー機やスキャナーがあったわけではありませんので,18世紀当時は楽譜の流通は手書きの写譜か,もしくは印刷譜かです。
大バッハは,チェンバロのための6曲のパルティータBWV825~830,イタリア協奏曲BWV971とフランス風序曲BWV831,オルガンのためのコラール・プレリュード集BWV669~689,ゴルトベルグ変奏曲BWV988などを自費出版していますが,多くの作品を印刷譜として残すことまではできませんでした。
そのため,多作家であった大バッハのほとんどの作品は手稿譜として残されました。
ところで,そもそもブランデンブルグ協奏曲集の6曲の協奏曲は,献呈目的で作曲された新作ではなく,大バッハが既に作曲してあった作品から6曲をチョイスし曲集としてまとめ直したものです。
それぞれに献呈稿の元となる初期稿が存在していて,大バッハはそれら初期稿,もしくは献呈稿の元となった下書きを手元に手稿譜で残していたと考えられます。
大バッハは,1723年にケーテンからライプツィッヒに赴任し,以降数年の間に数多くのカンタータを作曲しましたが,ブランデンブルグ協奏曲集の中のいくつかの楽章を転用して再活用した例も数曲みられます。
そうすると,ヴァイオリン協奏曲と言えるほど独奏ヴァイオリンの活躍が華々しいブランデンブルグ協奏曲第4番を,新たにチェンバロ版にリメイクして使おうという発想も,大バッハの頭の中ではごく自然に湧いてきたもののように思えるわけです。

ブランデンブルグ協奏曲第4番からチェンバロ協奏曲へのリメイクに当たって,大バッハはまずト長調からヘ長調に移調し,楽曲全体を長二度低く平行移動させています。
それは,他の現存するヴァイオリン協奏曲からチェンバロ協奏曲へのリメイクの際に採ったのとまったく同じ手段です。
異なる点としては,原曲のブランデンブルグ協奏曲第4番には,独奏ヴァイオリンと弦楽合奏の他に2本のリコーダーのパートが存在する(譜例1)ことが挙げられます。


  BWV1049-1st Mov 1
譜例1:ブランデンブルグ協奏曲第4番の冒頭(自筆譜献呈稿のファクシミリ版)
最上段が独奏ヴァイオリンで,2本のリコーダー,弦楽合奏の順に五線が並んでいる。

大バッハは,両端の楽章と中間楽章とで異なる編曲方法を採っています。
両端楽章では,リコーダー2本のパートを若干アレンジしつつもそのまま残しています。
そして独奏ヴァイオリンのパートをチェンバロに置き換えています(譜例2)。


  BWV1057-1st Mov 1
譜例2:チェンバロ協奏曲第6番の冒頭(自筆譜ファクシミリ版)
チェンバロ協奏曲第5番の続きに協奏曲第6番の楽譜が書かれている。最上段からリコーダー2本のパートが縦に並び,弦楽合奏が間に書かれ,最下段にチェンバロ独奏用の大譜表(二段組)が置かれている。
赤の矢印のところでは,リコーダーの旋律に新たに経過音が挿入されている。経過音は,原曲の旋律をいったん書き写した後で割り込ませるように記入されたようである。


中間楽章においては,原曲では弦楽合奏の総奏と独奏楽器群が同じフレーズをエコーのように反復するスタイルで作曲されています(譜例3)。

  BWV1049-2nd Mov
譜例3:ブランデンブルグ協奏曲第4番第2楽章の冒頭(自筆譜献呈稿のファクシミリ版)

チェンバロ版では,総奏の部分においては両端楽章のやり方と同様にリコーダー2本のパートがそのまま残されました(譜例4)。
リコーダー2本と独奏ヴァイオリンによるエコーの部分では,原曲でリコーダーの方が主旋律を担っているせいか,リコーダー2部のパートも独奏ヴァイオリンのパートも全部チェンバロが独占してしまうようにアレンジされています(譜例4)。


  BWV1057-2nd Mov
譜例4:チェンバロ協奏曲第6番第2楽章の冒頭(自筆譜ファクシミリ版)
エコーの部分は,チェンバロ独奏のみに委ねられている。しかし,大バッハ自身もリメイク中に頭が混乱した瞬間があったようで,誤ってリコーダーのパートに原曲の音符を写し取ってしまい,後で斜線を引いて消去した痕跡がある(赤の囲みの箇所)。

細かいところの相違点としては,原曲ではヴァイオリンの名人芸を披露するようにヴァイオリン独奏パートが作曲されているため,ヴァイオリンらしく音が跳躍するフレーズが出てきます(譜例5)が,チェンバロ版ではチェンバロらしく経過音を挿入する形にアレンジされています(譜例6)。

  BWV1049-1st Mov 2
譜例5:ブランデンブルグ協奏曲第4番第1楽章の一部(自筆譜献呈稿ファクシミリ版)
独奏ヴァイオリンの活躍が始まるところを示した。

  BWV1057-1st Mov 2
譜例6:チェンバロ協奏曲第6番第1楽章の一部(自筆譜ファクシミリ版)
譜例5に示したところに該当する箇所を示す。チェンバロ版でのアレンジでは経過音が後から挿入されている。赤の矢印の箇所が初出で,以降同様のアレンジが施されている。

第3楽章では,中間部で独奏ヴァイオリンのトレモロが出てきます(譜例7)が,大バッハはその部分をチェンバロ用にアレンジする際にかなり試行錯誤したようです。

  BWV1049-3rd Mov 1
  BWV1049-3rd Mov 2
譜例7:ブランデンブルグ協奏曲第4番第3楽章の一部(自筆譜献呈稿のファクシミリ版)

チェンバロ版では,原曲の独奏ヴァイオリンの旋律をいったんそのまま記し,対旋律は重ねずに単旋律のまま両手で交互に弾き分けるようにアレンジしていますが,右手と左手への割り振りを後から書き入れたり,フレーズを変更するためにいったん写し取ったフレーズを全部斜線で消して,左手用の下段の五線の空白を利用して全面的に作り直したりして手の込んだアレンジを施したようです(譜例8)。

  BWV1057-3rd Mov
譜例8:チェンバロ協奏曲第6番第3楽章の一部(自筆譜ファクシミリ版)
譜例7に示したところに該当する箇所を示す。チェンバロへのアレンジの際に,大バッハがどのようにしてリメイクを進めていったのか,その痕跡をたどることができる。

さらに,驚くべき変更は第2楽章の最後の半終止です。
原曲ではフリギア終始と呼ばれる終わり方で第3楽章につながっています(譜例9)。
これはバロック時代によく使われた半終止のパターンです。


  BWV1049-2nd & 3rd Movs
譜例9:ブランデンブルグ協奏曲第4番第2楽章の終わりと第3楽章が開始されるところ(自筆譜献呈稿のファクシミリ版)
第2楽章の末尾,赤の矢印で示したところにフリギア終止が現れている。

ところが,大バッハは何を思ったか,その半終止のところの上声を半音上げてフリギア旋法には存在しない音を入れ,下方変位を含むドッペルドミナントに変えて,斬新な響きにアレンジしています(譜例10)。
近代的な響きというか,どちらかというとまるで中世の時代に戻ったかのような一種異様な響きであり,筆者は初めて聴いたときに大変な衝撃を受けました。
おそらく一度聴いたら耳に焼きつくほどの強烈なインパクトです。


  BWV1057-2nd & 3rd Movs
譜例10:チェンバロ協奏曲第6番第2楽章の終わりと第3楽章が開始されるところ(自筆譜ファクシミリ版)
譜例9で示したところに該当する箇所を示す。赤の矢印で示したところに臨時記号が加えられ,下方変位を含むドッペルドミナントに変更されており,フリギア終止が壊されている。

その実験的とも言える試みは果たして成功だったのでしょうか。
筆者は,大バッハの意図といえどもその一音で曲を壊してしまっているように感じていますが,そこはさまざまな受け取り方があり得るでしょう。

それほどまでに考え抜いて改作されても,原曲の完成度が高すぎたせいか,筆者の耳にはチェンバロ協奏曲版に全体としてもどこか違和感が残ります。
しかし,それは現代人特有の感覚なのだろうとも思い直しています。
レコードもCDも何も記録媒体がなかった当時,現代人のようにブランデンブルグ協奏曲集を飽きるぐらいに反復して聴き込むというようなことはあり得なかったわけです。
大バッハが演奏した当時,おそらくライプツィッヒのほとんどの聴衆は原曲を知らなかったでしょう。
もし原曲を知っている人が作曲者その人や周囲の人たち以外にいたとしても,公開生演奏の機会が飽きるほどあったわけではなかったでしょうから,リメイクを素直に楽しめたことでしょう。

さて,現代のレコーディングにおいて,チェンバロ協奏曲第6番を原曲のブランデンブルグ協奏曲第4番以上に説得力のある音楽に仕上げるのは,原曲がハイレベルの有名作品だというハンディキャップを背負うゆえ,相当な無理難題のような気がします。
確かに,原曲を差し置いて楽しみたくなるような演奏にはなかなか遭遇しません。
何よりもチェンバリストに大変な表現力が要求されますので,どこか物足りない演奏ばかりのように感じています。
そんな中で,これはさすがに頑張っていると言える好感度の高い演奏は,チェンバロ協奏曲第3番のところでご紹介したアンドレアス・シュタイアーのチェンバロ独奏による演奏でしょう。
シュタイアーは,うっかり手を抜くと実につまらない仕上がりになってしまうこの協奏曲を,最初から最後まで真っ向からの真剣勝負で取り組んだようです。
この協奏曲の演奏に神がかり的に成功している数少ない事例だと思いますので,シュタイアー盤を改めてここにご紹介するとともに,演奏者を讃えたいと思います。


  Staier's Bach
HMC902181 (2 CDs): Harmonia Mundi (再掲)

Johann Sebastian Bach
Harpsichord Concertos
BWV1052-1058


Andreas Staier, harpsichord
Petra Müllejans, violin & direction
Freiburger Barockorchester, on period instruments