世の中で平等に与えられている唯一のものは、時間だと思っています。

これは、どう考えても正しいと自分なりに確信していたのですが、「時間の流れ方」ととらえるか「機会の与えられ方」ととらえるかによって、変わるようです。

確かに、時間は誰もが平等に持っているのですが、「平等に与えられている」という点で考えると、必ずしも正しくないかもしれません

最近の「親ガチャ」という言葉にあるように。



人によって寿命は異なります。人生の長さには個人差があります。
同じ24時間でも、健康状態や生活環境によって、24時間をどう使えるかは人それぞれです。
貧困や過酷な労働条件にある人は、自由に使える時間が限られてしまいます。
同じ24時間でも、どう感じ、どのように活用するかは個人によって異なります。

こんなことを考えると、時間が完全に平等に与えられているとは言い切れないかもしれません。
ただ、誰もが24時間という同じ単位で1日を過ごすという意味では、時間は公平です。

物理的な時間の流れ自体は、すべての人にとって同一です。
1日24時間、1週間7日という時間の枠組みは、誰にとっても同じです。
同一の時間の流れの中で、各個人が時間をどう使うかを選択できるという平等性はあります。

しかし、同じ時間の流れの中でも、人々の経験や成果に大きな違いが生じます。

どの国のどの地域で生まれ、どこで育つかによって時間の流れ方は異なってしまうかもしれません。
地方出身者の私が実際に感じるのは、久しぶりに地元へ帰ると、時間の流れ方が違うなぁという点です。

時間の流れはどこでも同じハズなのに、流れの速さの感覚は同じでない場合がある

時間について考えると、いろいろと空想してしまいます。
いずれこの世から消えてなくなってしまう自分、その周りの人間、今の時間を過ごしているのは一瞬だけ。

たっぷりと残されているようで、自分の命から見れば有限な時間をどう使うか。
生き急ぐ必要はないけど、やれることは今の瞬間しかないかもしれない。。。

中年を過ぎるとそんなことを妄想してしまいます。