白色テロ(白色恐怖)」の記事に、「学士~修士時代にかけて、地域研究科に籍を置きながら植民地研究(正確にはポストコロニアリズム)を専門にしていた」と書きました。これを言うと、「おまえは右か?左か?」と、即座に右左のレッテルを貼られるのですが、私が植民地研究を始めた動機と、植民地研究を数年続けてこられたモチベーションは

 

過去から現在まで影響を及ぼしているコロニアリズム(植民地主義)をしっかり認識することにより排除し、他国の人たちと上下・優劣のない対等な友情を築きたいから

 

に他なりません。


私は右でも左でもありません。日本が自虐的な観念に囚われることもよしとしていませんし、かと言って日本の帝国主義や植民地支配を肯定したこともありません。これは後の記事に譲ることにしますが、台湾の多くの人(決して全員ではありません)は日本統治時代の不利益と利益の両面を、経済、公衆衛生、農業、インフラ、教育、人権など様々な面から客観的に評価しようとしてくださるのですが、そのような姿勢を日本人として有難く思うと同時に、なぜ台湾の人はそのように冷静な目線を持てるのだろうと分析することはありますが、日本人の私が日本の植民地主義を肯定する発言をしたことはありません。

 

 

話は戻り、私は学部生の頃、Dr. W. Purcellのもとでポストコロニアリズムを学んでいました。Dr. Purcellから指導を受けようと思ったのは、大学2年生の頃にたまたま先生の授業に出たことがきっかけでした。先生は、次回の授業までに、各々が気に入ったCMの動画や、新聞・雑誌の広告を持ってくるように言いました。

 

 

次の授業の日

 

 

Dr. Purcellは出欠確認をするついでに、一人ひとり自分が一番美しいと思う俳優の名前を挙げるように言いました。そして全員がきれい、かっこいいと思う俳優の名前を言い終え、出欠確認が終わると、次に各々が持ってきたCM・広告を発表し、そのCM・広告からどのような印象を受けたかも発表しました。

 

 

するとDr. Purcellは

・「美しいと思う俳優」を挙げた時、挙がった名前は日本人俳優と白人俳優のもの

・みんなが持ち寄ったCM・広告の半分以上に白人モデルが起用されていること

・日本製品の広告なのに、なぜこんなに多くの会社が白人モデルを起用しているのか?

・白人モデルが起用されているCM・広告から受ける印象としてみんなが挙げた形容詞は、sophisticated(洗練された)、gorgeous(華やかな)、superior(優れた、上質な)など、ポジティブなものばかり

だと指摘しました。

 

Dr. Purcellは続けて私たちに、「では、例えば広告にアフリカ系のモデルが起用されていたとしたら、みんなはその広告からどのような印象を受けるだろうか?」と問いかけると、wild(野性的な)、primitive(原始的な)といった形容詞が学生の間からあがりました。

 

Dr. Purcellは、

白人=sophisticated、gorgeous、superior、アフリカ系=wild、primitiveの根拠は何だろう?

確たる根拠もないのに、なぜこのようなイメージを多くの人が共有しているのだろう?

西欧列強の時代はとっくに終わったと思っているかもしれないけれど、君たちは未だに心理的に植民地支配をうけて(mentally colonized)いないだろうか?

とその日の授業を締めくくりました。