🧵この記事はきっかけ(1)からの連続シリーズです

 

 

台湾から日本に帰ってきてしばらく経ったある日

 

 

私とサイはお互いにクラウド上でフォトアルバムを共有していた(正確には、サイがアルバムを持っていて、私も見られるようになっていた)のですが、サイがそのアルバムから、毎晩10枚ずつくらい写真を消していることに気が付きました。

 

 

当然ですが、写真もアルバムも一気に削除することができるわけで、なぜこの5年間で撮った大量の写真を毎晩10枚ずつ消していたのか、なぜそんな時間のかかることを地道に一ヶ月もかけてやっていたのか、今でも理由はよくわかりませんが、サイが少しずつ時間をかけて写真を削除していることに気が付きました。

 

 

サイとの思い出と言うか、私の20代の5年間の思い出が消されていくようで、胸が締め付けられる思いでした。それを毎日じわじわとやられるので、すごく苦しかったです。私は自分の写真を撮ることはもともと好きではありませんでしたが、サイは些細な日常の私も、台湾ではしゃいでいる私も、いつもどんな時も私の写真を撮ってくれていたので、サイと一緒にいた5年間だけは自分の写真が多く残っていました。それがどんどん消されていきます。台南にあるサイのおばあちゃんの家に行って、そこで初めて見るドラゴンフルーツ畑に興奮して、赤土が舞うドラゴンフルーツ畑を裸足で全力疾走している私にカメラを向けていたサイのことを、今でもなんとなく覚えています。その写真ももう手元にはありません。

 

 

私は全ての写真がアルバムから消された日に、あまりにつらくて苦しくて、Pattyに話を聞いてほしくて連絡しました。Pattyは、サイが総統府に兵役に行っていた頃、総統府の路地裏でサイの帰りを待っていた私に付き添って、寒い冬の夜に一緒にサイを待っていてくれたこともありました。そしてPattyの旦那さん(当時はまだ彼氏)と4人で食事に行ったこともありました。Pattyは私とサイがどんな関係で、サイがどんな人で、今までどんな時間を過ごしてきたのかも知っていました。

 

 

Pattyは一通り私の話を聞くと、

 

えりの苦しい気持ちも、えりもの痛みもよくわかる。

 

でも、いつも優秀なえりのそばにいたサイさんの痛みはえりの100倍。

 

今日は旧暦の大晦日。

 

この日に最後の写真を、そしてすべての写真を削除した彼の気持ちがわかる?

 

彼は全てをリセットして、前に進みたいと思っているということ。

 

えりにはサイさんを行かせてあげてほしい。

 

サイさんの再出発を祝福してあげてほしい。

 

私もえりと一緒に彼の再出発を心から祝福するから。

 

と言ってきたのです。

 

 

普通なら、友達を慰めるとか、相手を悪く言ってあなたは悪くないと言うとか、そんなことをすると思います。でもPattyは、私も傷付いているだろうけれど、サイの方がきっともっと傷付いているだろうから、彼の痛みを想ってあげてほしいと言ってきたのです。そして彼を行かせてあげてほしい、彼の再出発を一緒に祝福しようと言ってきたのです。

 

 

私がそれまで仲の良かったPattyを「友達」ではなく「親友」だと思ったのはこの時でした。これほどPattyを大切に思ったのは、Pattyが私に食事をごちそうしてくれた時でも、私にオーダーメイドのチャイナドレスをプレゼントしてくれた時でもなく、間違いなく「相手を思いやって、相手の痛みを想って、再出発を祝福してやれ」と言ってくれたこの時でした。

 

 

つづく

 

 

⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎サイ記事終了!⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎

Pattyのことを書きたくて始めた「きっかけ」シリーズでしたが、想定していなかったサイ記事にガッツリ尺を取ってしまいました。サイとの事を書かなければ、Pattyが私にしてくれたお説教の意味も、私がどれだけPattyを大切に思っているのかも、なぜPattyが私にとってこれほどまでに大切な存在なのかも伝わらないだろうと思い、サイの事を書き始めたら予想以上に長くなってしまいました。

 

大泣きしている友達に、「相手の痛みを想って相手を行かせてやれ。そして再出発を祝福してやれ。私もあなたと一緒に相手の再出発を心から祝福する」なんて、なかなか言えないと思います。私はこの時泣きながらも、Patty神やん!って思ってました😂

 

サイ記事は今回で終了です。この記事を書き始めるまで、実はサイのことは忘れていました。思い出すこともありませんでした。当時プレゼントされたものも、手紙も絵も、除隊の時にもらったサイのバッジも、全て処分してしまって手元には残っておらず、記憶だけをたどりながら記事を書いていたのですが、忘れたと思っていても、ちゃんと覚えているものですね。

 

もちろん、記事は全て私の目線で、私のフィルターを通して、私が書いているため、サイやご家族からしたら、もっと違う考え方や別の視点があって、私に伝わっていなかった思いや背景事情などが、数え切れないほどたくさんあったと思います。これは私自身が自分のフィルターを通して見て聞いて考えて決断して行動した記録であって、私のフィルターのすべてとも言えます。今改めて当時の事を振り返ってみると、私は「自活する事」「そのためにキャリアを積む事」「他人がくれた優しさに感謝はすれど自分以外はあてにしない事」などに重きを置いていて、それを頑なに正しいと思って相手に押し付け、そのようなフィルターでしか物事を見ていなかったと思います。相手には相手のフィルター、そしてそのフィルターが形成されるに至った経緯があったはずなのに。

 

さて、ここからはもともと書きたかったPattyの話に入っていきます。