🧵この記事はきっかけ(1)からの連続シリーズです

 

 

業務内容や研究内容、そこから何を学んだかなんてどうでもよく、ただ

「日本で働いていた」

「ニューヨークに留学した」

と言えば聞こえがいいという考え方は、サイの一家に限ったことではなく、台湾ではよくある発想でした。別にご両親が悪いわけでも、お姉さんが悪いわけでもないとはわかっていましたが、私はどうもこういう考え方が好きになれませんでした。もちろん、この考え方をする事で誰も傷付かないのであればいいのですが、幼少期から傷付いてきたサイが、こんな浅はかな考え方で、29歳になろうとしている今もまだ傷付いているように思えて、私は憤りすら感じていました。

 

 

私はサイから履歴書を見てほしいと言われれば見るけれど、そうでない限り日本での求人情報を積極的に探してきて応募を勧めるようなことはしませんでした。

 

 

私はサイに、最初は給料が安くても待遇が悪くてもどんな小さな会社でも構わないから、自分の勉強になりそうなところに就職をすればいいと思うと伝えていました。デザインの事やソフトの使い方、制作のいろはを教えてくれそうな会社であれば、どれだけ給料が安くても、必ずサイのその後に繋がっていくはずだから、私は応援していると伝えました。そして、就職や就職活動が億劫なのは私だって同じだから気持ちはよくわかる、でも、意外と社会人生活は楽しいから心配しなくていいとも伝えました。私は社会人になってから、サイをディナーや旅行にちょこちょこ連れて行っていました。社会人になったらそりゃあ辛い事がないわけではないけれど、仕事を頑張ったら、その分おいしいものを食べに行ったり、旅行に行ったりして自分を労ってあげるんだよとも言っていました。

 

 



結局7月になっても何も進展はなく、私は7月のある平日、会社の昼休みにサイに電話しました。

 

 

「サイ、急であれやけど、うちと結婚して一緒に台湾帰らん?」

 

 

私は、サイと結婚しないなんて、考えた事もありませんでした。サイだって、サイのご両親だって、私たちは当然結婚すると思っていると思っていたので、私は何か特別な事を口走っているとはこの時思っていませんでした。でもサイは、私から逆プロポーズを受けたと思って、電話の向こうで信じられないくらい喜んでくれました。サイは即答でイエスと言ってくれました。

 

 

私はその日、会社に退職願を提出しました。

 

 

つづく