🧵この記事はきっかけ(1)からの連続シリーズです

 

 

サイは卒業を迎えましたが、どこからも内定は出ませんでした。

 

 

本人からしたらショックだろうとは思いましたが、私は本人のキャリアを真剣におもえば全く問題ないと考えていました。先に台湾で仕事をしてみて、経験値と視野を広げて業界への理解を深めてから、もしまだその気があれば改めて日本でチャレンジすればいいと思っていました。

 

 

私はサイにその事を話しました。

 

 

特に語学を好きで学んできた人にとって、漠然と「海外で働いてみたい」という気持ちを持つのは当然の事です。でも、専門的な事となると、先に母国語で理解を深めてから外国語にも落とし込んでいく方が、専門性の土台は着実に構築され、その確固たる土台の上に、外国との対比で得た気付きが層のように積み重なっていくように感じています。

 

 

例えば私の分野を例に取ると、日本の法制度とそれに関連する各種手続きがあったとして、もちろん外国でも似た法制度と手続きが存在する事が多いのですが、似た制度下にある同名称の手続きであったとしても、各国毎に手続きの根拠となる法律や規則は当然異なりますし、それによって手続き内容やアプローチや位置付け等が異なる事が多いのです。それで、アメリカの人と日本実務について議論するのであれば、相手方が日本実務と米国実務の違いを理解した上で話をしているか、同名称の手続きについて、アメリカ実務のそれと捉えて話をしてしまっていないか見極めつつ、理解に相違が生じていそうだと気付いた時点で適宜フォローや補足説明をしながら対応していかないと、お互い同じ手続きについて話をしているつもりが、それぞれ違うフレームで捉えて話をしてしまっているといった事が起こります。これはどの分野でもある事だと思います。

 

 

まず基礎を固めてブレない軸を持ってから、同時並行的に他も見ていき、その対比から学びや気付きを得ていく。その「他を見ていく」プロセスに入っていく時に、外国語は間違いなく強力な武器になります。

 

 

私はこの「軸固め」については、「売れっ子お笑い芸人さん」に通じるところがあると勝手に思っています。オモロイ芸人さんというのは、誰よりも常識人だと私は思っているのですが、「常識」という一本ブレない芯を持っていなければ、そこを敢えて笑える絶妙な範囲の中で外すという事はできないんじゃないかと思います。ブレない芯を持った上で、敢えて目線を外してみるというのは、最高に華麗で知性に富んでいると思います。(ちなみに話は脱線しまくりますが、中川家礼二さんの「北京語」と「広東語」のものまねは、中国語スピーカーからしたら本当にクオリティー高いですよ!!言ってる内容は適当でめちゃくちゃなのに、ちゃんと両者の音の違いの特徴を捉えて再現されていて、感動すら覚えます!!)

 

 

話は戻り(笑)、私はサイに台湾に帰って台湾で職歴を積むのでいいと思う。私だって台湾に残りたくていろいろもがいてみての今だけれど、日本人として日本で仕事ができてよかったと思っている。仕事を始める時や始めたばかりの時はそれなりにしんどい事もあるとは思うけれど、しばらくしたら社会人生活がきっと楽しくなると思う。私も自分の人生の中で、社会人時代が一番楽しいと思っていると、サイを励ましました。

 

 

つづく