🧵この記事はきっかけ(1)からの連続シリーズです
 
 
サイが語学学校を卒業したら、今度は専門学校に行く………?!?!
 
 
もう、本気で耳を疑いました。
 
 
語学学校を卒業して2年制の専門学校に行ったら、サイは卒業する時には職歴のない28歳になってしまいます。ここまできてしまうと、さすがに医学系など難易度が高めの学問領域だったとしても、就職はかなり厳しくなるだろうと思いました。仮にどこかに就職が決まったとしても、自分自身28歳の新人さんとしてある程度割り切ってやっていけるメンタルがあるのであればいいのですが、そうでなければ本人がしんどいだろうと思いました。
 
 
もちろん、後々の苦労なんてどうでもいいと思える程、専門学校に行く事が本人のやりたい事なのであれば、私だって全力で応援します。
 
 
でも私はこの時、サイが幼少期からあまりに「できない子」というレッテルを貼られすぎて、とにかく自分に自信が持てなくなっている事、社会に出ていく事を極端に怖がっている事、そして社会に出ていくのをできるだけ先延ばしにしようとしている事を知っていました。
 
 
私とサイが出会ったのはお互い24歳の時でした。私はその時修士論文をほぼ書き終えていて、日本に帰る準備をしていました。一方サイは、あの苗栗の山にある学校(厳密には大学ではなく技術学院)に留年という形で籍を置いたまま台北の実家に戻ってきていて、台北の実家から私の日本語のクラスに通っていたのです。
 
 
付き合い始めたばかりの頃、サイが大学院に行く事を考えていると言って、大学院のパンフレットを見せてくれた事がありました。その時、「これはサイがすごくやりたい事なの?」と聞いたら、最終学歴にコンプレックスがあるので、それを払拭したいのと、兵役に行きたくないから大学院に入りたいと言ってきたのです。兵役を可能な限り先送りにするために、どこかの大学院に籍を置けるだけ置いておくという手法は、当時台湾の芸能人がちょこちょこやっていたので知っていました。でも、それも限りがある事なので、在籍期間が4年だろうが6年だろうが、結局卒業か退学のタイミングで必ずお声がかかるのです。私はサイに、帰ってくるのを待っているから、早く兵役に行って早く帰ってきてほしいと伝えました。それでサイは大学院に行かず、技術学院を卒業して兵役に行ったのです。
 
 
サイが大学院のパンフレットを見せてくれた時に、「これは本当に、サイが心底やりたい事なの?」と私が聞くと、今まで一度も本気で何かをやりたいなんて思った事がない、えりちゃんと出会って初めて、えりちゃんと一緒にいたいから、そのために頑張ろうと思えただけで、それ以外に頑張りたいと思える事も頑張りたい動機も何一つないと言っていました。
 
 
だからサイの専門学校へ行くというのも、サイが本気でやりたい事だとは、私にはどうしても思えなかったのです。
 
 
つづく