🧵この記事はきっかけ(1)からの連続シリーズです

 

 

サイと付き合っていくうちに、サイの自信のなさの理由がなんとなく分かってきました。

 

 

サイの兵役期間中の最初の休暇に合わせて台湾に行った時、サイが桐の花を見に苗栗県の三義に連れて行ってくれた事がありました。三義の油桐の花のスポットに行く前に、サイが自分が卒業した学校に立ち寄ると言うので、黙ってサイの車に乗っていると、車は秘境のような山深い場所へと進んで行きました。しかも山頂に向かって進んでいきます。同じ方向を目指している車は一台もなく、対向車と一二台すれ違うものの、その「対向車」とは、切り出した丸太を大量に積んだ業者の大型トラックでした。大型トラックは、きれいに切りそろえた丸太に深緑色の幌をかけていて、土煙を巻き上げながら、絶妙なドライビングテクニックでサイの車と上手くすれ違っていきます。まるで西部劇の舞台のような光景でした。

 

 

本当にこんな場所に学校があるのか…?と思っていると、山をのぼりきったあたりの場所に学校と思しき建物が突如現れました。その建物の前には屋台が2, 3軒あるだけで、周囲には何もありません。スーパーやコンビニももちろんありません。本当に、夜市などでよく見るような屋台が2, 3軒あるだけでした。

「サイの学校ってここ?」

「そう」

聞くとこの学校には寮があり、学生時代はずっと寮で生活をしていたと言います。

「ごはんとか日用品とかどうしてたん?」

ごはんは屋台で買ったり、日用品はたまに台北に帰った時にまとめ買いをしていたそうです。どちらかと言うと不便な学生生活だっただろうと思いました。

 

 

サイはとにかく勉強ができなかったと自分で言っていました。サイのお父さんは清華大学を卒業していて、学生の頃は全国統一試験で一位になり表彰された事があると聞いていました。私がサイと出会った頃は大学で非常勤講師をしながら、自身の会社を経営していました。サイは小さい頃から勉強が苦手だったので、学校で悪い成績を取るといつもお父さんに殴られていたと言っていました。お母さんはそれを止める事はなかったけれど、お父さんがいなくなったのを見計らって、一人サイの部屋に来て慰めてくれたとも言っていました。

 

 

昔サイのおじいちゃんおばあちゃんの家に行った事があるのですが、お家に石碑のようなものがあったので「これ何?」と聞いたら、お父さんが全国統一試験で一位になった時に贈られたものだと教えてくれました。トロフィーとか紙の表彰状とかではなく石(笑)  なんだかスケールと重みが日本とはだいぶ違うなと思いましたが、お父さんが成績の悪いサイの事を殴っていたという理由がなんとなく分かった気がしました。

 

 

お母さんは、お父さんが怖くて従っているという様子はまるでなく、とにかくお父さんが大好きで大好きで仕方ないという雰囲気が全身から溢れ出ているような人でした。お父さん、お母さん、サイ、私の4人でよく車に乗って出かけていたのですが、車から降りると、お母さんはいつもうさぎのようにぴょんぴょんと喜びに満ちた足取りで真っ先にお父さんの隣に行き、お父さんの手を繋いでいました。お母さんは、心から尊敬している大好きなお父さんには一切意見しない人でした。サイがさんざん殴られた後、お父さんがいなくなってからサイを慰めに行っていたというのも、私の中では腑に落ちるところがありました。

 

 

サイにはお姉さんがいたのですが、サイは家族の中で「できない子」というレッテルを貼られているように感じました。サイも自分自身にそういうレッテルを貼ってしまっているとも思いましたが、原因が幼少期からのものとなると、不可抗力の部分が大きいように思いました。

 

 

私はサイに、勉強のできるできないなんて気にしなくていい、私だって気にしていない、それにサイは頭がいいと思っていると伝え続けましたが、これは本心でもありました。というのも、サイは人の気持ちが読めて、押しつけがましくないさり気ない気遣いができる人でしたし、私はサイの担任として語学しか教えていないので他の分野については何とも言えませんが、少なくとも語学のセンスはあると感じていました。外国語は私の専門領域の一つでもあるので、この感覚は狂っていないと思います。そしてもう一つ思っていたのは、サイの記憶力が驚異的だという事です。私は10代20代の頃は記憶力にとても自信がありました。2, 3歳の頃に見た夢を覚えていたり、教科書の丸暗記、海外ドラマの英語のセリフを丸暗記するのも得意でした。社会人になってからも、教えられた事はメモを取らなくても全部暗記できました。教えてくれた先輩がその日着ていた服、その先輩の背景にある窓の外の景色なども覚えていたので、いつ教わった事かも、先輩の服装や風景などからだいたい遡る事ができました。でもサイは、そんな私がびっくりする程事細かにいろいろな事を覚えていました。私が何月何日にどんな病気になったとか、私がいつどこの病院に行っていたとか、私が何日寝込んでいたとか(←基本病気😂)、びっくりする程正確に何でも覚えていました。私は覚えていない自分の事は、全てサイに聞いていたくらいです。

 

 

私にはサイができない子だとは到底思えませんでした。これだけの記憶力があれば、本来文系科目などは特に強かったはずですし、法曹の分野でも活躍できるレベルの能力はあると思いました。(本人がやりたい事かどうかはさておき、少なくともポテンシャルはあったと思います。)

 

 

サイはできる人なんだし、学歴や勉強の得意不得意なんて本当に気にしなくていいのにと、私は思っていたのです。

 

 

つづく