ステロイドホルモン | きくな湯田眼科-院長のブログ

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横浜市港北区菊名にある『きくな湯田眼科』

Harvey Cushing (1869-1939) は米国の脳外科の父とも呼ばれている人で、優れた脳外科医でした。



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彼は1912年に16才のニューヨークに住むMinnie Gと言う女性について報告しています。Minnieは短身で毛髪が薄く、満月様顔貌、中心性肥満、赤色皮膚線条 などの特徴を示していました。カッシングは1932年に類似の症例12例をまとめ、本疾患は下垂体のacidophil hyperpituitarism (好酸性下垂体亢進症)による末端肥大症に対し、basophil cell (好塩基細胞)の亢進が原因であろうと考えました。


後に本症は下垂体ACTH(adenocorticotropic hormone)の過剰分泌により副腎皮質が肥大し、グルココルチコイド(糖質コルチコイド)やミネラルコルチコイド(鉱質コルチコイド)の過剰症を生ずることが原因と分かり、本症は彼の名を取ってCushing 病と名付けられました。


Cushing は本症に対し腫瘍摘出の外科的治療を試みたものの、3例中2例が術直後に死亡し、本症に対する手術療法は断念しました。なお最初の症例のMinnieはCushingが報告した後も、29年間生存しました。


今日では本症は鼻の方からアプローチする方法:Hardy手術により、安全に摘出することが可能になっています。


鉱質コルチコイドはナトリウムや水分の貯留に働き、浮腫を生じ、血圧を上昇させます。


糖質コルチコイドは様々な作用を持っており、ステロイドホルモンと言うと多くはこの糖質コルチコイドのことを指しています。


米国メイヨークリニックでリウマチの治療に携わっていたPhilip Showalter Hench (1896-1965)は1929年、受け持ちの65才のリウマチの男性患者から黄疸を生じたときリウマチ関節炎がなくなり、黄疸の消失とともに関節炎が再発したことを聞きました。その後5年間で同様な症例を17例経験、さらにリウマチの患者が妊娠すると関節炎が改善することを認めました。それまではリウマチは不治の病と考えられていて、改善することなど考えられなかったのです。


彼はこうして黄疸や妊娠により、リウマチを改善する何らかの物質が出てくるものと考え、この謎の物質Xを探し出すことを決意します。


彼に幸いしたのはストレス学説で有名なHans Selye (1907-1982)と生化学の大家Edward Calvin Kendall (1886-1972) がいたことです。


セリエ教授のストレス学説によればストレスによりACTHが過剰分泌され副腎が腫脹しステロイドホルモンが出て、様々な反応を引き起こすことになります。ヘンチはリウマチもストレスが原因ではなかろうかと目星をつけました。ステロイドホルモンのアンバランスが原因と考えたのです。(着想がすごいですね!)


一方、ケンダルは化学合成の達人でしたので、ヘンチは彼と共同研究を行うことを決めました。


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写真は右Hench、左Kendallです。


こうして彼らは副腎ホルモンを次々と分離し、1940年までに28個のホルモンを分離することに成功しました。これらのホルモンを用いた動物実験で、compound E と名付けた物質が副腎摘出した動物を一番長く生存させる効果があることを知りました。彼らは、これこそが求めていた物質Xであると確信しました。


折しも世界大戦の最中で、彼らが compound E を使用できるようになったのは1948年になってからでした。最初に投与されたのは29才女性で、5年間重症リウマチ関節炎により、ベッド上で身動きも出来ないような状態でした。彼らはcompound E を彼女に 100mg、4日間投与しました。驚いたことに4日目に患者は歩いて病室を出て行ったのです。


更に何例かの症例を重ね、ヘンチが1948年4月13日にメイヨークリニックで薬の効果を発表したときには、聴衆からスタンディングオベーションが起こりました。ニューヨークタイムズは早々この「奇跡の薬」を大々的に報道しました。


後にcompound E は同時期に発見された ビタミンE と名前が類似していることから、コルチゾン (cortisone) と名付けられました。この功績により、彼らは2年後の1950年にノーベル医学賞を受賞しました。


こうして奇跡の薬の誕生でしたが、やがていろいろな副作用に遭遇することになるのです。