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先日の、外にゃんこさんの急死から1週間経ちました。

もう、1週間・・・。


■ 命あるものはいつかは・・・。





でも、自分の中では、まだ昨日のことのような気もしています。

死んでから2,3日は泣いてました。
今は少しは落ち着いてはきましたが、本当に悲しくて、にゃんこさんのことを思うと泣きそうになっています。



溜め込んでしまうと押し潰されそうになる。

自粛しようと考えてたけど、堪えきれなくて吐露してしまいました。


最期にウチに来て、にゃんこさんは幸せだったか?

報われたいからやっているのではない。
にゃんこさんのことで、あんたは偉いねって言われたいからやっているのではない。


でも、やっぱり解ってもらいたいなという部分は、あったかも知れない・・・いやあったんだろうね。

自己満足。





でも。

間違いなく、私は、にゃんこさんのことは可愛くて可愛くて仕方なかった。


ウチに来たのがあのコじゃなくても、きっと同じことをしたと思う。

でも。
あのコだから、特別になったのだとも考えています。



これも縁だし、出会うべくして出会った運命だったのかも知れない。

あのコは、どんな風に思ってたのだろう。
知ることが出来るなら、知りたい。



幸せじゃなかったわけがない。
それは、写真の姿を見れば分かる。
写真の中のにゃんこの様子が、その証だと言ってくださった方が居ます。


にゃんこさんの姿から、そういう風に感じてくださったなら、私も心が救われます。





野良のまま、誰からも可愛がられないままよりは、よかったんじゃないか。

直前まで可愛がってくれた人が居ることは、よかったんじゃないか。

死後も悲しみを持ってくれたことに、ネコも満足してるんじゃないかな。

可愛がられた記憶を持って死を迎える方が、はるかに幸せだったハズだよ。





自分なりにも、色々と考えて居ますが、逆に飼われていても捨てられて人間不信になるコだっています。

野良から家に居着けるというのは、よいことなのかも知れない。





保護活動をされてる方に較べたら、私の行いなど大層なものではないでしょう。

それに、悲しまないわけじゃないだろうけど、悲しんでいるいとまなどないかも知れない。

命を預かるということは、簡単に考えてはならない。
どんなに小さくても、生きている。



感情なんかない、動物なんかに。
本当に、そうかな?

ううん。
ちゃんと、かれらだって感情を持ってます。
小さくても、ちゃんと喜びや楽しみや傷みや悲しみは持ってます。



外にゃんこさんが死んだ時。

それまでは、ウチのメス猫さんは外に居なかった。

でも、横たわっていたあのコを抱き上げて、他に移して寝かせた時に、メス猫さんが何処かからやって来て、近くに寄って来たんです。

何か、彼女なりにわかったんでしょうね。
遊んでたこともないし、仲良かったわけじゃないんですよ?
仲が悪かったわけでもないですけど。



お墓を作る最中も、近くから見ていました。
まるで、見送るかのようでした。



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せめて。

次に生まれ変わるならば。
また、猫として生まれてくるなら、優しい人に出会って幸せになって欲しい。







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