(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史17-1)革命前夜の木屋町 志士のアジトは醤油屋 | 世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ

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丸新本家湯浅醤油有限会社の新古敏朗です。

 

中瀬賢次 著より 抜粋

 

明治維新前夜”の木屋町筋は、閑静で人通りも少なく勤王の志士たちに格好の密会の場を提供した。また一方では、加賀藩彦根藩土佐藩長州藩など雄藩の藩邸が櫛比して佐幕派、倒幕派の決戦場ともなり、毎夜、血なまぐさい空気に包まれた。

 

かつては、高瀬川の水路によって搬入されてきた食生活に欠くことのできない塩の円滑な供給を期すため、奇しくも現在「京都府塩販売組合」が慈舟山瑞泉寺内に置かれている。

当時、木屋町三条下ルに店舗を構えていた二代目牛窓屋平兵衛の覚え帖(手記)から血なまぐさい世相を端的に表現している。

とくに事件の現場を詳細に描写している点、この目で実際に見たことが、よく窺われると同時に、生首があちこちに晒されていた当時を思うとき、血なまぐさいどころか凄惨の極致と云うべきで、人権尊重の現在思想と比べ全く隔世の感を覚える。

 

なお牛窓屋平兵衛は、文化四年(1807)五月に改組された「他国 醤油売問屋仲ヶ間」の一人であって、備前児島の醤油造り元牛窓屋寿之助の製品を扱っていた。約六十年後の万廷・文久・元治・慶応は文字通り残忍を極めた明治維新前夜であった。

歴史は、面白いですね~ 私思うに
鎌倉時代 「源実朝」から始まり、600年続いた武士の時代が終わろうとしている場幕末の明治維新

 まさかの醤油屋まで関わっていたとは、思いませんでした。
この醤油屋は、武士のおかげで醤油が始まったとは、知らずに倒幕の手伝いをしていたんでしょうね。