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シーファンリーシーのブログ

シーファンリーシーは“歴史がすきです”の中国語です。
ちょっとしたオモシロネタが少しでもお届けできればうれしいですね。

1年前のミネソタのちょっと漏れていた写真を整理してみます。

ミネアポリス美術館

無料ですが、見応え充分な収蔵品の数々です。

 

 

 

(ゴーギャン)

 

(ゴッホ)

 

(モジリアーニ)

 

(北川 歌麿)

 

(歌川広重)

 

中国の唐三彩や磁器などもなかなか豊富です。

 

セントポールのアムトラックユニオン駅の構内---ブーツの会社で有名なレッドウイング行く列車の乗車駅です。シカゴとシアトル、ポートランドを結ぶエンパイア―ステート号---1日1往復のみです。

 

 

約1時間半後(南に95KM)に到着したレッドウイング駅のプラットホーム

 

レッドウイングの駅舎---この日は日曜日で駅の広場は地元の人のバザール

 

レッドウイング駅の駅舎内---とてもかわいい感じです。

 

レッドウイングの街の役所---駅のすぐ近くです。

 

役所の噴水横にあるブーツ型の案内版のような置物---めちゃかわいいです。

 

駅の反対側200M先のミシシッピ川沿いの入り江にあるボートのハーバー

 

手前から2件目か3件目がレッドウイングのブーツショップ件ミュージアムです。

 

入り口吹き抜けにある高さ4Mほどの巨大ブーツ---店のシンボルです。

 

2階のミュージアム内の展示物---町の名の由来、ブーツのブランドおよび会社名の由来

”レッドウイング”---アメリカンインディアンのス―族の酋長の名前にちなんで付けられました。

 

ブーツの生産工程

 

 

駅の西2キロにある”ポッタリー アンド ショップ”

陶器メーカーだったのをミュージアムとショップに

 

19世紀後半のミシシッピ川沿いは製粉産業が大変盛んでした。ここはその穀物などを保存する陶器の器の生産会社で、1900年代前半は全米で最大の陶磁器メーカーでした。

 

中国や日本のようなろくろによる作りでなく、型を使う大量生産です。

 

各サイズ別の陶器製穀物用保存容器

 

一般家庭用の食器類、飾り物その時のものが各種展示されています。

 

レッドウイングの1日観光後の夕方、電車待ちで立ち寄った地元のレストラン内の壁のメニュー表--

黒板にすべて手書きですが、とてもセンスが良かったので写真を取らせていただきました。

 

 

 

 

-セント・アンソニー滝-

1つの滝だけをテーマにしたの歴史物語


セント・アンソニー滝---それはアメリカ大陸最大の流域面積を誇るミシシッピ川にある唯一の滝です。20m程度の高低差なので、ナイヤガラの滝やビクトリアの滝のような迫力はありませんので、自然の観光見物としてはさほどメジャーではありません。

ただ、この1つの滝から生まれた、経済的発展の歴史物語は大変面白いものです。




1.2~1万年前の最終氷期にミネソタを覆っていた氷河が後退した際、地表には浸食された幾層かの河床ができ、滝が形成されました。

最初に滝ができた場所は現在のセントポール市の更に南ですから、1,2万年かけて30キロ程度浸食により北上したのですか、自然の力はすごいものです。


・1680年にフランスの探検隊がその滝に出くわし、セント・アンソニー滝と名付けました。



・1783年-アメリカの独立戦争の終結(ミシシッピーより東がアメリカとなりました。)


・1819~1825年-この地にスネリング砦がアメリカ合衆国領土の利益を守るために建設されました。砦の一つの使命はオジブワ族とダコタ族の紛争の調停でした。この当時は、ネイティブ・アメリカン、ヨーロッパの入植者、アメリカの軍人らが主だった居住者でした。


・このころ砦の兵士たちは、自給自足の試みとして、道路を作り、農作物を植え、セント・アンソニー滝に製材所作りました。民間人の主な仕事は毛皮の貿易と製材業でした。


・1848年に書かれたアンソニー滝の油絵です。






・1848年-民間人によって水力を利用した初めての製材所ができました。それと同時に滝の東岸にアンソニーの地域社会が形成されました。


・1848年以降-滝を利用した水力は製材所のみならず、製粉工場にも利用されました。




・1857年-滝の横に運河を作り24もの製粉工場に水を運びました。




・1858年-滝の南のセントポールには1000隻以上の蒸気船が停泊し南北ダコタへの陸の玄関口として、客の乗降や貨物の積み降ろしで大変にぎわいました。その為この地よりの鉄道や道路だ急速に発達しました。


・1866年-ワッシュバーン・ミル社(製粉工場)が設立されます。ミルシティー・ミュージアムの場所です。



・1867年-この地がミネアポリスになり、ミネアポリス-シカゴ間の鉄道が開通しました。



・1871年当時-製粉、綿織物、毛織物、鉄道、機械、製紙、木材加工などの23もの企業が立地していました。この頃はその革新的な製法で"世界の製粉の首都”と呼ばれました。


・1872年-滝の東岸の町、アンソニーがミネアポリスに合併されました。




・1880年-上記のワッシュバーン・ミルが世界一の規模で、世界最高の最先端の工場に選ばれました。




・1880年-ダコタインディアンの生き残りの人たちが、あちこちに追いやられ、放浪の末に、やっとミネソタ州に戻り、グラナイトの滝近辺やレッド・ウイング等の地に地域社会を築きました。


・1880~1930年-ミネアポリスは世界史上、直接水力の中心地と呼ばれました。




・1882年-滝に水力発電が完成


・1883年-ストーンアーチ橋が完成






・1900年当時-ここは国内の14%もの小麦粉を生産する一大生産地でした。上記のワッシュバーンとピルスベリーが2強でした。


・1965年-ワッシュバーンがこのA工場をクローズ



・2001年-ミルシティー・ミュージアムのオープン




現在、この地が先端のハイテク産業都市となっているのは、やはり、上記のような、歴史的背景があったからではないでしょうか。

 


この記事の内容動画にしてみました。


https://www.youtube.com/watch?v=GCyLo-GCHCo


ミネソタ州、ミネアポリス市、セントポール市


十数年ぶりのUSA本土への旅のレポートです。

仕事がらみで久々のUSD本土、仕事の合間にちょっと観光見物してきました。


ツイン・シティーズ(双子の都市)と呼ばれる、隣接する政治が中心のセントポール市経済が中心のミネアポリス市、都市圏人口は約330万人です。



この地の歴史

約2000年前、この一帯には古代のネイティブ・アメリカンによる、ホープウェル文化が栄えていました。


・西暦1600年頃~1837年にかけてダコタ族が住んでいました。


19世紀初頭、カナダから南下してきたフランス系の探検家、宣教師、商人(毛皮取引)などが、スネリング砦の守りとしてやってきました。


1820年頃、ネイティブ・アメリカン、ヨーロッパ入植者、アメリカ人の軍人が混住する、西部開拓時代の辺境の地でした。


1837年、ヘンリー・スクールクラフトとダコタ族の間に交わされた条約により、ネイティブ・アメリカンはこの地を追いやられ、ヨーロッパ系入植者によって開かれました。



ミネアポリス市の市庁舎です。とても立派です。

ミネアポリスの市名は先住民“ダコタ族”の水を意味するmniとギリシャ語の都市を意味するポリスの合成語です。市域内には20の湖、ミシシッピ川、多数の小川なを、やはり水の都です。


2005年にポピュラー・サイエンス誌で全米トップのハイテク都市に選ばれており、2006年には“住むのに賢い場所”第二位に選ばれています。商業、金融、ハイテク産業等盛んで、大企業の本社も多くあり、また各種の製造業も大変活発です。




これはセントポール市のシンボルである、セントポール教会です。

近くで見るととても大きく、勇壮です。

現在の建物は1915年完成ですが、1841年にこの地に最初のセントポール教会が建てられ、市名となりました。


久々のアメリカで、始めてこれらの都市を歩いてみて、やはりアメリカの国力の底力を改めて感じました。一人当たりのインフラや経済力は日本の少なくとも、1,5~2倍はあるのではと思いました。


ただどこもとてつもなく広く、大きく、綺麗ですが、正直いって日本人としては逆にちょっと不便さも感じました。



これは2路線あるメトロです。メトロという名から地下鉄のイメージでしたが、すべて地上でした。


ブルーライン全米最大規模のアウトレットモールのモール・オブ・アメリカミネアポリス・セントポール国際空港ミネアポリスのダウンタウンを結んでいます。


グリーンラインセントポールのダウンタウンミネアポリスのダウンタウンを結んでいます。

仕事も含め何度も乗りましたが、安くて便利でした。


事前に全米一の治安と聞いていましたが、なるほどその通りで、ほとんど怖そうな場所、人、共に見かけませんでした。



 




私が訪問した各国の他の都市で見かけなかった面白いシステムです。


スカイウェイと呼ばれる各ビルとビルの2階をつなぐ回廊です。なので、ビルとビルとの間はすべて道路の上です。


激しい冬の寒さや雪を気にせず、路上の車と歩行の緩和などとても便利なシステムです。

平日のみ歩行可能です。




驚くのはその広さです。ミネアポリスの中心部の80ブロック総延長は11キロにも及びます。


その為か各種のお店(商店街)はほとんど各ビルの2階にあります。なので1階のビル周りの歩行者道路を歩いてもあまり面白くありません。


セントポール市にもこれより狭いですがスカイウェイがあります。






到着後の2泊したルネッサンス・ミネアポリスホテル、ザ・デポというホテルです。(デポとは米語で駅の意味です)

これは1899年から、1971年までミルウォーキー鉄道ミネアポリスの駅舎として使用されていた、

ルネッサンス復古様式建物です。

駅舎使用終了後にオフィースに転用され、2001年に市の開発庁の承認による再開発プロジェクトとして現在のホテル、レストラン等に生まれ変わりました。



ミルウォーキー鉄道は、1947年ミルウォーキーの近隣より始まり、1909年に太平洋のシアトルまで通じた大陸横断鉄道です。1985年にその会社が倒産し終わりました。 鉄道自体はさまざまな会社に分割継承されました。




ホームだったアーチの建物はは博物館ように保存され、冬はスケートリンクになったり、その他催し物会場等に使わています。







レンガ建ての手前のビルの一階ホテルのロビー、レストラン、また一部は博物館のように当時の鉄道に関するグッズなどが博物館のように、陳列されていてアメリカの古き良き時代の息吹を感じました。



ちなみに部屋は普通でした。


ミネアポリスの旅3回のテーマに分けて書く予定です。