1人は成田空港のグラウンドスタッフだった女性でした。彼氏居たので片思いの人でした。『子宮頚癌』でした。母親の従兄弟の養女として育った優しい娘さんでした。

    皆さんは突然居なく生るショックを家族や恋人や思ってくれる人からは有っては生りません。必ず検査やワクチン接種や新しいお薬等も出て来ています。折角就職も結婚も考えて居ただろう彼女の人生は無に生ってしまいました。20代での他界でした。

    もう1人は耳だれ酷くてと言って居た。亀戸の耳鼻咽喉科に通っていたのでしたがけっこう年齢が行って居るお医者さんでしたが半年以上通って居ても良くならず、東京都墨東病院で診て貰ったら耳鼻口腔ガンと診断され抗がん剤とガンマナイフ手術を受けました。良い細胞まで焼く様な手術で黒く鮫肌や頭髪等も無くなり、腫瘍が視神経や血管やリンパ管やその他の血管等の4種類に癒着が酷くて採り切れずに、時々抗がん剤治療と放射線治療していましたが再発拡大でもう一度ガンマナイフと抗がん剤治療をしようと担当医が言ったら彼女は『もうこれ以上治療を受けたくない。』で東大病院ガン病棟へ。私とはその間あまり逢わず避けていた私が子供が好きで抗がん剤治療でもう子供は持てないと言われていた様だ。だから別れ話と見舞いには来ないでと電話での会話だった。最後は有明ガンセンターで耳鼻科通院から3年半の治療生活で亡くなった様です。別れるまで8年(実質双方仕事でほとんど逢っては居ない。)でしたがその後2年後に亡くなった知らせが有りました。彼女が亡くなったのは35歳ですね。

    おかしいなと思ったら、総合診療科の有る病院で、おかしい部位の専門病院よりも詳しく診て貰って欲しいです。

    私は生涯独身で終わりそうですが、彼女や彼氏の治療が必要と思ったら『総合診療科の有る総合病院へ行く事をお薦めします。』未来が有ると無い人生では有る方を選べる人生で居て下さい。

    自分と彼女達の出逢いが私をオタクの様な医療重視や皆さんには、『聴く耳は大きく持って生きて下さい。』と、云わしめます。眠れぬ夜に。

   2024年7月2日   鵜ノ澤 明良