ある光景から、小休止 | 斉藤ゆき子の「朗読と声の徒然なるまま」オフィシャルプログ

斉藤ゆき子の「朗読と声の徒然なるまま」オフィシャルプログ

朗読表現者・ナレーター・声優。シンガー。ソフィアの森代表。@音読指導士を養成。著書「奇跡の朗読教室」NHKドラマ「この声をきみに」朗読指導。日々の気づきや朗読教室で起きた事など他を書いています。東京にて活動中。



こんにちは!

朗読表現者で歌もうたう

ソフィアの森 斉藤ゆき子です。


空き時間に、1人でランチをとりに

和食のごはんやさんに入った。

案内された席の隣には

60後半の女性と向かい合わせに

その父と思しき老年の方が食事をしていた。


一切会話をしない。

女性は一口くちにした後、毎回

ため息をつき、箸をひざに

またふっと食事をしていた。


男性は無言でもぐもぐ食べる。


女性は車で帰ろうかと言った。

女性は、父をおいてトイレへ行った。

するとおもむろに、父は杖をつき

立ち上がった。


ヨロヨロと、私にいきなり

寄りかかってきた。笑笑。

立ち上がってレジの方へ向かっていく。


わっ、出てしまったら大変。

その時、トイレから女性が出てきた、

その瞬間

老年男性が、叱り飛ばすようなこえで

わっ、でもなく、なんだ!でもなく叫ぶ。


出ないで!歩かないで!と

女性は言いながら近寄っていくが

初老の男性は、と言うと

無感情の表情をこちら側に向けていた。

おせっかいの私は立ち上がって、

女性にサポートしたくなったが

ふっと胸が苦しくなった。


老人がこわい。


思い出したのだ、

あの時の母と私の姿が重なる。


震災があってすぐに我が家にきた母。

認知も進んでいたから

福祉へ相談すると、すぐに

サッサっと物事が進みグループホームに

入居させてもらえた。

ただ、月に何回かは通院やもろもろがあり

施設に行く回数が意外に多かった。


私は都度、車で病院へ連れて行った。

2011年は、

まだ私が誰かもわかっていたから

笑ったり、いろいろ話はできていた。

帰りには、車で和食系ファミレスや

車で入りやすい店に入って食事をした。

辛い料理を注文したりして

よく美味しいものを食べにレストランへ

一緒に行ったことを思い出す。


認知は進行していたが、

運良く新しい施設にはいり、さらには

新しい特養に待たずして入って

母は年金が高い時代であったから

恵まれた環境にいれたように思う。


数年してその母と食事をしても

全くしゃべらくなり、笑わなくなり

私が誰かも、わからなくなり

ついに

食事に行くことは叶わなくなった。


この時の複雑な気持ちが一瞬にして

隣の親子を見ながら重なって

女性の暗い表情をみて

なぜだか泣きたいような変な気持ちに

なったのだ。


美味しいレストランに行ったり

すごく美味しい食事をとればよかった。

つまり後悔だ。


どんな母であれ、

母と私の10年はあれで良かったのか

と反省ばかりだ。


こんな思いも、また地層のように重なり

私を作っている。


先日、自分にはあまりにも大きすぎる

お仕事というか役目を任され

大勢の前で語らなくてはならない状況へ

自然に運ばれて行った。

もっとふさわしい人がいただろう

もっと上手い人がいただろう

しかし、こんなふうな方、という

指定があったそうで、

私があげられたらしく、最終的に

決まってからは練習をした。

終わってから、ある方から

斉藤ゆき子の存在が消えた語りで

とても良かったと言われた。

感謝しかなかったから。



私がこの声になっているのは

私が作りだしていない。

じゃ、誰が私にこの声を

授けてくれたのか。

母の声でも父の声でもない。

これまでの環境や様々な感情。

これも私が選んだものとそうでないもの。

それらが入り混じって今がある。

だからからか、いろんな登場人物の感情を

情感がたまらなくせつなく

声の表現に生かすことが出来ている。


後悔や反省をしても戻らない。


今を満足いくまで精一杯生き切ること。

与えられた声を使い切ること。

感謝して生きることが

使命なのだ、と感じる。


前回のブログに〇〇は、

今回のブログでかきます。と公言した。



それは


感謝


そう、今、できていることへの感謝

そうできる環境があることに感謝

喜んでいき喜んで死ぬ。

感謝があれば伝わる。




さて、まもなくになりました!

ソフィアの森朗読ワークショップ。

1月21日(日)13時半


まだ、大丈夫です!

ご予約お待ちしています。


https://sofianomori.com/1day/