今月のblog句会「悠々自適」の課題が、切字「かな」だったので、そのことについて一筆書き加えたいと思った。

「かな」と詠んだ句の中で一番有名な句といえば、

 

さまざまの事おもひ出す桜かな  芭蕉

 

だろう。ちょうど季節も“今が旬”である。

自分はこの句を思い出す度に「桜」という花のシンボリックな部分を言い当てた妙を感じるのだ。

この句はまた、「かな」の使い方に関しても実に巧いと思うのである。

この句は「かな」の使い方をしっかりと教えてくれている。

切字「かな」は余韻が相当いい響きを持っている。

それで「上五+中七(ワンフレーズ)」+「(季語)+かな」の句の可否の判断の仕方について、この句を通して考えてみようと思う。

 

まず「かな」の句を詠んだら次のことを試して欲しい。

掲句でいくと、

 

桜かな

 

と下五のフレーズを読んで、その余韻までをじっくり味わう。そうした上で、

 

さまざまの事おもひ出す

 

と上五・中七のフレーズに戻ってみるのだ。

 

・・・しっくりくる。そして「桜かな」ともう一度読んでしっくりくる。

韻律で言うならばリフレイン効果であろうか?

先に揚げた例句をもって同じ事をやってみて欲しい。

 

金色の佛ぞおはす蕨かな      水原秋桜子

傘もつ手つめたくなりし牡丹かな  富安風生

オムレツが上手に焼けて落葉かな 草間時彦

帯解きてつかれいでたる螢かな   久保田万太郎

 

一句目、外の蕨を堪能して「金色の佛ぞおはす」と内なるものを堪能する。

二句目、「牡丹かな」・・・と牡丹とそれの咲く時季を振り返る、その上で「傘もつ手つめたくなりし」・・・と続けてみると、牡丹と五月雨、鎌倉あたりの景がうかび上がってくることと思う。

三句目、落葉期、オムレツが上手に焼けたというちょっとした普段の歓びと窓の外の暖色の季節を感じる。四句目しかり、螢を見つけた喜びと、辿り着いた宿にて帯を解く一気に来るリラックスモード・・・。そんなものを詠嘆して味わいたい。

 

藤田湘子も解いているが、「かな」はデリケートな切字だ。それゆえに藤田の解く「二物衝撃」論も、あまり強いものでバチバチと発火的衝撃を起こさせない方がよい。優しく緩やかな調べと、「季語+かな」、そのリフレイン、フェイドアウト・・・そんな効果のある切字「かな」だと自分は思う次第だ。だから字余り的な調べを崩すようなことは「かな」では成功しないと思える。

 

句会ご参加の皆さん、今回はもう出句一覧を掲載してしまったのだが、もう一度「かな」の使い方をご一考頂ければ幸いである。