最後に更新してもう2年くらい経とうとしています。

なかなかPCを開く時間がない日々を過ごしていましたが、いやはや2年ですか・・・
自分でもびっくりです。
前はあんなにネットに依存していたのに・・・。


最近の病状はというと、比較的安定します。

クレアチニンは微妙に高いですが、主治医は「まぁ、こんなもんでしょう」と。

去年の今頃にはインフルエンザにかかって大変でしたが、今年はかからず良かったです。
一般的な風邪はしょっちゅう引いていますが、感冒薬でなんとか済んでいます。
一般的な風邪、といえども移植腎には負担をかけているんでしょうがね・・・なかなか風邪は年中かかってるみたいな感じです。

移植後に始めた仕事もなんとか今日まで続いていますし、適度なストレスで程よく刺激のある日々を過ごしています。


そんな、透析導入前とさほど変わりのない日々を過ごすことができているこの平凡な毎日。
時折自分が「健康な人間である」と錯覚することがあります。
職場の人、親しい人、みんな私の本当の姿を知りません。
だから「私もみんなと同じ」

とても幸せです。
仕事を早く切り上げて透析に行かなくていいから残業ができる。
水分も制限なく飲むことができる。
足が浮腫むこともないからハイヒールで出勤できる。
・・・

みんなと同じようにできていることが、初めは幸せでたまりませんでした。
でも最近ではそれが当たり前になってしまって、もっと上のことがしたい、と欲が出てきました。

例えば・・・
職場の同僚たちが続々と結婚、出産を経験していく中で、先輩に「どうしてあなたは結婚しないの?」という言葉に「なんででしょう?しないんじゃなくてできないんです・・・笑」と答えるしかなかったことで、自分も早く結婚して子供を産みたいと思うようになってきた。

もちろん腎移植したって結婚出産を経験しておられる方はたくさんいらっしゃると思います。
でも私はきっと無理なんだと、透析をしていたころから思っていました。無理である根拠はなにもありません。
移植後「腎機能がある程度あれば出産もできるからね」と主治医に言われていましたし。
腎移植をしたことそのものが出産不可能であるということはない、ということは認識しています。

しかし、当の私が、「透析」「腎移植」に対してとても偏見を持っていた過去がありますから、自分が男だったらなるべく健康な女性と結婚したいな、と思うに違いない。そう思うのです。

好きな人ができる→病気のことを告白する→拒否されるかも?

そういう発想になってしまうのは否めないところです。
そんなことで傷ついてしまうなら、初めから諦めておいた方が楽なのではないか。
それはそれで前述した先輩の言葉のような「社会的非難」を浴びる覚悟も必要になる。

だんだんと年齢を重ねてくるとどうしても避けられない問題。病気の私に限らないかもしれませんがね。

ただ、いつも思うことは、私は病気を理由にしていろんなことから逃げているということです。病気になったこと自体も、仕事がなかなか見つからなかったことも、結婚できないことも、本当は自分の努力不足なのに。



私は慢性腎不全で、身体障害者1級で、
そのことに甘えている、何の努力もせずに怠惰な毎日を送っている最低な人間。

自分で自分の現状を見つめなおし、明日から一歩、いや半歩ずつでもとにかく前にだけ進みたい。

そう自分を戒めるために、今日はブログを利用しました。
間違いなく、昨日よりは前向きになっています。


勝手に自己解決する様子をただただ並べたこの記事の未熟さを、どうぞお許しください。