小生が自分の指した将棋の記録を初めてつけた「記念碑的な一局」である。思わず記録したくなるほど、内容の濃い将棋だったからだ。
「長手数の詰みで勝ちきる」など、当時の自分には考えられなかったのだが・・・。
本局のポイント:中終盤の攻め(妙手・強手の連発)
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【対局日】昭和57年4月22日
【対局場所】某大学 将棋部部室
【駒割り】平手
【持ち時間】対局開始から1時間後、一手1分以内
【対戦相手の棋力】不明
【当方の手番】先手
【戦型】相矢倉
【手数】121手
【結果】先手の勝ち
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【第1図】仕掛けの局面
先手が攻守とも理想型の構えなので、後手からの仕掛けはいささか無理気味に見える。
実際、先手から次々と、カウンターが入っていった。
【第2図】中盤、技が決まった局面
歩の手筋で形を乱したところで、狙いすました銀打ち。
実は、大内九段が書いた矢倉の解説書に、本局と同様の局面で、この銀打ちまでで優勢になる順が紹介されていた。つまり、本局は「勉強の成果が現れた一局」だったということになる。
【第3図】終盤、妙手を指せた局面
後手も必死に反撃してきた。△5六角は攻防に利かした好手だが、先手も遊び駒を働かすべく▲4五桂と跳ねた。要の3四の銀が取られるのを防ぎつつ、後手の5三の銀にもあたっている。相手の歩の頭に飛んだが、「終盤は駒の損得より速度」、桂馬を取らせる間に、後手玉に詰めろをかける狙いがあり、まさに一石三鳥の「次の一手」。
対局時にノータイムで閃いたこの手が、読めば読むほどぴったりで、驚いた。
ただ、後手が手抜きされた時に、後手玉が詰むとは思っていなかった。そのため、△6九角と先手玉に詰めろをかけられて、焦った。当時の自分は、受けの力が弱く、攻め切る以外の勝ちパターンを持っていなかったのだ。
詰みがないか、必死に読んだ。
最初は▲3二歩と指そうと思ったが、△4一玉と寄られたときの詰み手順がわからなかった。そのため、思い切って▲3二金と形を決めた。その時点では読み切れていなかったが・・・。
【第4図】次の一手は?(鮮やかな決め手)
第4図で、先手の正着がお分かりだろうか?
正解は▲6一桂成。成り捨ての手筋である。
△同飛の一手に、▲6四飛として、手筋の効果が明らかになった。△7一玉の一手に▲6一飛成とした時、なんと飛車の横取りに成功している。そのため、仮に△8二玉と逃げても、▲8一飛以下の即詰みに討ち取れるのだ。
▲6一飛成の局面で、後手が投了した。
第4図で▲6一桂成と指さずに、単に▲6四飛だと、△7一玉▲6一飛成△8二玉まで逃げられた時に手駒がなく、後が続かない。いわゆる「指し切り」の状態で、そうなっていたら先手の逆転負けだった。
=================【昔の記録に書かれた「まとめ」】=================
本局は、矢倉将棋の神髄ともいうべき名局である。
序盤の駒組み勝ちから、中盤、妙手・強手の連続で迫り、終盤はなんと29手の即詰みに切って落とした。いま見直しても、実力以上のものが出ている。
(平成3年8月3日)
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「名局」とは、いささか我の強い評価で、恥ずかしい。相手は不出来と感じたに違いないからだ。ただ、先手が当時の実力以上の指し手を連発していたことは、間違いない。その意味で、先手の「会心譜」ではあった。
見た目で言えば、終盤の右桂の三段跳び(▲4五桂〜▲5三桂不成〜▲6一桂成)が、妙手連発で鮮やかだった。
【棋譜】
下記のリンク先をご覧ください。
ちなみに、投了図以下の変化は、こちらとなります。
(2022年8月9日)