感動しました。
1987年の11月。
確か、
勤労感謝の日だったと思う。
中学2年の秋。
オレは、
野球部の友達と西宮球場へ遊びに行った。
『 阪急ブレーブス ファン感謝デー 』
子供のお目当ては、
山田や福本や蓑田や石嶺・・・
9月に観に行った南海戦で、
試合後出待ちしてこの日のヒーローだった
山沖投手に持っていたメガホンにサインしてもらったので、
この日は初めて色紙2枚と
サインしてもらう用にミニバッグを用意して行ったのです。
イベントが終わって、
関係者出入り口付近での選手の出待ち。
そこへ、
身体のデカい若いお兄さんが歩いてきました。
誰かはわからんけど、
サインもらっとこっと思って、
オレはその若いお兄さんへ一番乗りで声掛け。
「コレにサインしてください!」
って名前も知らんのに^^;
中2の野球少年に対して、
すごく丁寧に接してくれて、
生まれて初めてのサイン色紙ゲットでした。
それから月日が6年経ち、
1993年の春。
オレは予備校生。
グリーンスタジアム神戸へ本拠地を移して
3年目のオリックスへバイトの面接へ行きました。
面接官が名前を。
びっくりしました。
目の前で面接している人は、
まぎれもなくあの身体のデカいお兄さんに違いない。
9歳年上のあの人やん!
1年間。
あの『身体のデカいお兄さん』
が上司に。
私はこの人の下ですごく楽しいバイト生活を
送ることができました。
仕事だけでなく、
一緒に草野球もさせてもらったし、
バーベキューやったり、
なにかと気にかけてもらってたと思います。
でも、
この方は、
オレだけでなく誰彼問わず、
本当に気配りができる方で、
みんなにそう思わせていたんじゃないかな。
特に。
この人は時に厳しい時はあったにせよ、
怒ったりしたときは、
絶対にこっちが悪い時であり、
「この人に怒られたらしゃあないわ!」
って素直に思わされる方でした。
だから、
学校の先生やったらええのになぁと、
そんな話もバイト仲間たちとしたものでした。
将来こうなるとも知らずに・・・
そしたら、
一年の打ち上げでの宴席の
会話の中で。
学校の先生したいんやって話を聞きました。
ホンマは野球教えたいねんけど、
規定があって難しいねん。
と。
私は、
大学生になることを断念したこともあって、
スタジアムクルーもこの年で辞めることに。
同僚はバイトを続けていたので、
この方の情報は聞いていました。
球団職員辞めて、
ホンマに転職したんや~!
さすがやなと思いました。
高校の先生になったって。
でも
「野球部やないねんけどな。」
1998年7月13日の日刊スポーツ。
高校の先生になって4年目の夏。
この記事、
いまでも大事にとってました。
そして、
縁あって現在の高校へ赴任。
そこからは、
もう兵庫県の高校野球界では有名となっていたので、
オレにとってはもう遠い人になってたけど^^;
12年間の監督、
2年間の部長職転任、
そして監督復帰3年目。
一昨年の春。
観戦した際に撮影しました。
縁あって、
この方の教え子と知り合い、
草野球を一緒にプレーすることになり、
聞ける範囲での情報は聞いていました。
簡単な言葉で表現することは出来ない、
大変な立場であること。
でも、
あの1993年一緒に働いたときに感じたこと。
「この人が高校野球の監督やったら絶対甲子園いけるわ!」
だからこそ、
この方の記事で目に留まったものは、
スクラップしていました。
2016年7月28日。
今日になりましたが・・・
市立尼崎高等学校硬式野球部 竹本 修 監督
本当に、本当に、
おめでとうございました!!!
中学2年時にいただいたサイン色紙と、
阪急ブレーブスミニバッグ。
今も、
大事にしていますよ^^



