タイトル、思いつかなくて(^_^;)


引き続き、天照が男神の理由を挙げていきます。


🌞奉納の衣装が男性用衣装


平安時代、『寛治四年十一月四日伊勢奉幣使記』で伊勢神宮に奉納する天照大神の装束一式がほとんど男性用の衣装であって、江戸時代の伊勢外宮の神官度会延経はこれを典拠にして、『左経記』の宇佐への女子用装束と比較して、「之ヲ見レバ、天照大神ハ実ハ男神ノコト明ラカナリ」と記している。(『内宮男体考証』『国学弁疑』)

『山槐記』永暦二年(1161)四月廿二日条、『兵範記』仁安四年(1169)正月廿六日条にも内宮に男子装束が奉納された記事がある。 



🌞祇園祭の御神体は男性


京都祇園祭の岩戸山の御神体は伊弉諾命・手力男命・天照大神であるが、いずれも男性の姿である。天照大神の像は「眉目秀麗の美男子で白蜀江花菱綾織袴で浅沓を穿く。直径十二センチ程の円鏡を頸にかけ笏を持つ。」と岩戸山町で伝えられるとおりの姿である。



🌞京丹後の天照大神は男神


京丹後市久美浜町布袋野(ほたいの)の三番叟(さんばそう)に登場する翁は天照大神を表すとされ、振袖を着てカツラを装着し、かんざしを挿して金色の烏帽子を被る姿である。

烏帽子(えぼし)・男性のかぶり物



🌞「源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)」の天照


源平盛衰記は、平家物語を増補改訂した書物になります。

その中の17巻「源中納言侍の夢の事」という話です。

平家が京を離れ、凋落の不安の中で、夢占いに一喜一憂していました。

その時、源中納言雅頼に仕える侍が、夢を見ます。

衣冠をつけ一番上座にいる人が、「なぜ平家が滅亡に至ったのか」、「今後どうすればいいのか」仰せになりました。

その人物が天照大神になります。その格好が衣冠をつけた男性だったのです。

源平争乱中の武士たちは、天照を男と認識していたことになります。



🌞16歳の 天照は少年だった🧒


国の重要文化財に指定されている朝熊山の金剛証寺に、若かりし頃の天照と言われる雨宝童子(うほうどうじ)の像あります。その姿は少年像。

雨宝童子は、奈良県桜井市の長谷寺にもあります。こちらも少年の姿です。




・長谷寺 雨宝童子立像


この長谷寺は大神神社から、それほど離れていないところにあります。

長谷寺は、大神の神様を仏教化した所と聞きました。

いつ書くか分かりませんが😅「聖なる太陽の ライン」がありまして、長谷寺もそのライン上にあります。



🌞「天照御魂」は男らしい神


天照御魂を祀る神社があります。

木島坐天照御魂神社
新屋坐天照御魂神社
鏡作坐天照御魂神社
池田坐天照御魂神社

祭神は、天火明命になります。
本名は天照国照火明命といい、太陽を神格化した神様になります。

この神様は、粗暴で強情で猛々しい、男そのものといった神様です。



🌞消された瀬織津姫


伊勢神宮、外宮の渡会の書によれば「荒祭宮は、瀬織津姫を祀る」としている。
神道五部書は、天照大神荒御魂の別名は瀬織津姫としている。

伊勢神宮では、荒祭宮は正宮と同格として位置づけられ、皇大神宮に順じた祭事が行われ、神饌の種類や数量は正宮とほぼ同等。

記紀成立以前、男神天照大神と並祭されていた瀬織津姫を宮中祭祀から分離・抹消したのは持統天皇だとされます。


記紀・古事記、日本書紀のこと


ご存知の方も多いと思いますが、瀬織津姫は神話から消された神様です。

天照を女にするのですから、瀬織津姫は邪魔だったのですね🙄



🌞伊勢神宮の神紋「太一(たいいつ)」


伊勢神宮内宮の別宮、伊雑宮では御田植祭の時、大きなのぼりを真ん中に立てます。






太一は、古代中国において天地・万物の出現・成立の根源となる気をさし、宇宙そのものを意味しました。


以前ブログに書きましたが、日本語の由来は柱や垂直は男性を表し、円や渦は女性を表しています。


空に向かって垂直に立つのぼりは、男性の力強さを彷彿とさせます。


皇祖神を祀る伊勢神宮にとって、太一は絶対的な意味を持ち、20年ごとの式年遷宮の運搬時にも「太一」の旗が使われています。



長くなりましたので、今日はここまでにします🐦
ありがとうございました🐥



✦参考資料

「天照の謎と正体」 著 楠戸 義昭
「神々の体系」 著 上山春平氏
「続・神々の体系」著 上山春平氏
「埋もれた巨像」 著 上山春平氏

Wikipedia(一部コピペしました)

「失われたイエスキリスト天照大神の謎」 
 著 三神たける 飛鳥昭雄