今日、妻から聞いた話。

イトーヨーカドーに家内と娘が二人で行ったそうだ。なんだかフウセン売ってるとこがあって、
店の人が「持つとこ長いのと短いのとどっちがいいですか」と娘に尋ねたらしい。
娘は「どっちでもいいです」と回答したらしい。

んー。

家内は娘の主体性がないことに嘆いている。

まあ娘はまだ小三だし、「そうゆう回答はくれる人に対して失礼だし、相手が選択を迫る質問には
どちらか明確に答えたほうがベターだ」みたいなことを教えられるからいい。

こういう回答する後輩がすごく多いことに、はた・と気づく。

「飲みに行こうか」「あ、いいですよ別に」とか「おまえ洋食和食どっちがいい?」「どっちも好きです」とか。答えは間違っていないよ。でもさ、「どっちがいいか」という質問してんだから、「こっち」って答えてくれたほうが聞いてる側からはスッキリするなー。
思うにこれは彼らの気持ちを尊重した見方をすれば、目上の自分に気を使いすぎた過剰な謙譲。
ところが自分からすれば「どっちがいい・も決められねえ優柔不断」に見える。世代間の格差か。

NOと言えないなんとか、と似ている気が。日本人、てなんだかなあ。

「どっちでもいい」も本当の気持ちだろうけど、主体性が感じられない。どっちか敢えて選ぶのも、場の雰囲気を考えた、優れた選択(英断)と思ってもらえるかもよ。思慮深い人には。