(その1から つづき)

パウロはイエス・キリストのメッセージを伝える者に変えられました。
だからと言って過去の失敗は消えません。
仲間を傷つけられた弟子たちからなかなか受け入れてもらえませんでした。
一方で、これまで一緒に生きてきたユダヤ人の仲間からは裏切り者として命を狙われます。

自分を嫌う人たちをとことん愛しておられる神様を知っているパウロ。
逆らいまくった自分がとことん愛されていたことを知っているパウロ。

パウロは、何度倒れても、神様の愛を伝えるために立ち上がり続けます。
どんな人も愛する神様の愛に押し出されました。

「わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」

問題にぶつかり、怒り、悲しみ、むなしさや絶望感を感じて「もうやめたい」と思ったこともあったことでしょう。
こんなことも言っています。
「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です」(フィリピの信徒への手紙1章21~24節)

誰もあきらめないで大切にし続ける。
失敗してもまた立ち上がってあらためてチャレンジする。

人は愛されるために生きています。

問題や困難は神様の愛を知る道具に変えられていきます。
すべての人が、確かに神様の宝物です。