皆さまこんにちは。

 

オリンピックを観ながら、ふと思ったことを…

 

 

なぜ「JUDO」になった? 

 

 オリンピックの柔道…いえ「JUDO」をご覧になったことと思います。

 私は、日々繰り広げられるモヤモヤする試合を見ているのが辛くて、特に決勝は、途中から見られなくなってしまいました。

 

 「指導」を取らない、片方だけに厳しい、会場のブーイング…選手や客席のマナーも気になりました。

 

 体操橋本大輝選手は、自身の技が決まったあと、歓声に沸く客席に向け、口に指を当てて「シーっ」というポーズをとり、まだ演技を控えている選手に対しての配慮を促しました。

 素敵なスポーツマンシップ。それが日本の選手であることが誇らしく思いました。

 

 スポーツに限らず、大衆や聴衆、観客から視線を注がれる大舞台では、「選手」「観客」「主催」の、どの立場にあってもその国民性が顕わになるのだなと、オリンピックの舞台を通して感じました。

 

 昨今の日本の様々な現状を嘆いてしまうことがよくありますが…こと、スポーツの世界では誇らしい気持ちになります。また伝統芸能も然り、真面目な国民性が凝縮された世界です。

 

 日本の武道としての柔道は、五輪では「JUDO」という五輪用スポーツと化して、「」の道である本来の「柔道」とは別物になっている気がしました。

 「武道としての柔道」で礼と技を磨いていた選手たちが、「柔道」の精神と技を携えて挑む世界なのに、礼儀を教えない(ように見えた)JUDO」と対峙する、もはやこの土俵の違いは苦し過ぎるなぁと思いました。

(個人的な考えです)

 

 武道であるはずの「柔道」が、スポーツ「JUDO」になってしまったと感じたパリ五輪…きっともう、五輪で「柔道」は見られないのだろうと思いました。

 一度、手から離れてしまったものを取り戻し、元に戻すことは至難の業。

 

 テレビの前で、ただ見ているだけでこんなに疲れるのだから…

 あの舞台での銀メダル❗心からおめでとうございます。そして、心から、本当にお疲れ様でした。

 

 

110年続く驚異の存在 

 

 今年、初めて観劇した宝塚110期生文化祭のことは記事にも書きましたが…

 

 

 そこで初めて目にした生徒さん達の姿が、浅歴ファンの私にはかなり衝撃的でした。噂で聞いたこと、映像で観たことはあっても、実際に目にするとまるで異次元。

 

 世間では「今どき軍隊みたいで時代錯誤」なんて言う人もいるようですが、背筋がピンッ!と伸びて、しっかりと教育がされていることは一目瞭然、統制が取れた生徒さん達の姿を見て、「日本も捨てたものではないなぁ」と、心から感動したのでした。

 十代の青春時代に、あれはできるものではありません。

 

 110周年

 美しい女性たちだけで構成された、他に類をみない歌劇団…世界のどこを探しても無い、日本の宝塚だけにある、唯一無二の存在です。

 

 “日本の、兵庫県の、宝塚市だけにある

 女性だけで構成されている宝塚歌劇団

 

 この唯一無二の素晴らしい世界を、沢山の人に知ってほしい気持ちもありつつ、その方法を誤ると大変なことになるのだろうなと、五輪「JUDO」を見て、なんだかとても気になってしまいました。余計なお世話ですね💧それでも敢えて記事にしました。

 

 死守あるのみ

 

 …五輪「JUDO」から、宝塚歌劇団に思いを馳せつつ…。

 

この誇らしい宝塚歌劇団

これから先の目標は何なのだろう…

・世界に広く知らしめること?

・未来永劫に失わず続いていくこと?

 

 劇団は、劇団員やスタッフの皆さんを守ると同時に、続けていく目的・目標、その方法を誤らないよう、そしてどうか、日本のファンをいつまでも大切にして欲しいと思いました。

 

 この一ファンの細やかな願いが歌劇団に届きますように✨️

 

 

🌟お読み頂き有難うございました🌟

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