以前にがん保険のCMで鳥越さんが言ってた言葉、
ずっと胸の奥に残っていた。
想像の中の「敵」に苛まれて不安に耐えているだけなら、
それは余計に恐怖を増幅させる。
自分が恐れている対象(鳥越さんの場合は癌だった)から
目をそらさずにしっかり見つめて、
その正体を正確に理解することで、
初めてその恐れと対峙する姿勢が作れると、
鳥越さんは身をもって教えてくれた。
そして、今まったく違う状況の中で、再び同じ言葉が、
私の耳にまた違う響きを持って聞こえてきた。
それは「人」に対する恐れと向き合った時。
善意で・・・良かれと思って・・・こんなに一生懸命やってるのに・・・
そんな思いとは裏腹に、予想もしない反感やいわれない批判に
会うことは、生きていれば誰だってあるだろう。
「私は間違ったことなんてやってませんから!」
そう胸を張って動じることもなくいられたのは、今は遠い若かりし頃。
生きる辛さ苦しさの経験値が嫌でも増したこの歳になれば、
吐き出さずにはいられない人の胸の痛みにも思いは至り、
どうしてそうなっちゃうのかなぁと、しこたま落ちる夜もある。
かつて、そんな出来事に遭遇し、心の羽が折れ、
疑心暗鬼や猜疑心や人間不信の殻にひきこもり、
ひたすら自分を守ろうとしてた日々もあった。
でも、誰かからの攻撃や非難や不満や反発、それが怖くて
向き合わずに一度逃げたら、そこにはもう二度と戻れない。
もっと怖くなって近寄れなくなる。
だから今は、その痛みを受けとめる勇気を持ちたい。
向き合えば、絶対に何かがつかめる。糸口は必ずある。
鳥越さんの声がよみがえる。
『逃げたらなんでも怖くなる』
むしろ、これは私に与えられた立ち位置かもしれないと思う。
誰かと誰かの間にはさまっていること、誰かと誰かにつながる
位置にいることが、自分の役割なんじゃないかと。
そこにいることで、右と左、上と下、前と後ろ、
つながっている両方のことがわかるから。
どちらのことも、直接見て聞いて触れて知ることができるから。
そして、どこよりも真実に近づけるから。
そうした全方位の圧にさらされる場所にいることが、
とてつもなくしんどいことのように感じてしまうのは、
そこから離れよう離れようとするベクトルが
自分の中で働くせいだろう。
“消極的自己犠牲”なら、それは大変で仕方のないこと。
でも”積極的自己犠牲”ならば、逆にどんどん元気が
湧いてくるはずだよと、メンタリングの先生は教えてくれた。
ならば、私はズタボロのサンドバッグに喜んでなる人でいよう。
憶測や妄想の闇で悶々とするのはやめて、
勇気を出して真摯に人の想いに目をこらそう。
そして、そこでこそ最も活きる人になりたい。