みなさん、ご無沙汰しております。
2024年は、1月1日から能登大地震から始まりました。
1月もあと数日で終わりますが、また残念な出来事が起こりました。
会社の後輩女子が、1月13日に逝去しました。
出身も同じ北海道の十勝地区で年齢は5歳下、私のことを慕ってくれていたので、私も妹のように彼女の悩みに耳を傾けたり、アドバイスが出来ることはして、微力ながら彼女の力になれてたら良かったかなと思っています。
彼女には一人息子がいて、まだ12歳、今年の3月に小学校を卒業します。
ご主人も、息子君が1歳の時に病気で他界して、ずっとシングルマザーで頑張ってきました。
そんな彼女が、息子君を残してこの世を去ってしまいました。
彼女のことを思うと、悔しいし無念だったろうなと考えてしまします。
病気に打ち勝ってほしかったですが、気づいた時には手遅れで、手の施しようがなかった状態です。
普段、定期通院をしていたのに、主治医が血液検査の数値だけを見て「大丈夫です」と言われれば、本人はそうなんだろうと思ってしまいます。
私も、彼女が日に日に顔の頬がこけていくのを目の当たりにして、別の病院にした方がいいのじゃないかとアドバイスしましたが、定期検診に行ったときは、時はすでに遅し。
子宮体癌で、余命宣告を受けてしまいました。
主治医には、春くらいと言われたようですが、彼女が12月13日に緊急入院して自宅の緩和治療に12月26日に帰宅して、ちょうど緊急入院から1っ月後の1月13日にこの世を去ってしましました。
1月13日は私と陣中見舞いの約束をして、彼女が食べたがっていた「きのとや」のケーキを購入して、彼女の家に着くと救急車が停まっていて病状が悪いんだなと思い、在宅医療の看護師さんと少し話をしたところ看護師さんも涙目で話していました。
私は、看護師さんが在宅医療の医者がこれから来ると雪かきをしていたので、家の前の雪かきをお手伝いして帰ってきました。
その後に、お見舞いに行く前に送ったラインが既読になったので持ち直したのかと思っていたら、1月16日に息子君から直接彼女の逝去を伝えられました。
18日に、会社の代表と直属上司の課長と私と三人でご焼香に行ってきました。
その時は、ご両親や息子君とあまりお話することが出来なかったので、改めて個人で弔問に伺いますと息子君に伝えました。
その時、再度「きのとや」のケーキを購入して、彼女の仏前にそなえてもらおうと思います。
昨年の10月に父の逝去、年初めの1月に後輩女子の逝去と最近は死に向き合うことが多いですが、残された人たちはたくましく生きていくことで、彼らの冥福をお祈るばかりです。
Rest in Peace.
I'm always thinking of you in my mind.