アラベスクを読んでファンになった山岸先生。正直絵柄はそこまで好きではなかったんだけど、アラベスク2の頃からなめらかな線になり魅力が増した。ずっと一番好きな漫画作家だった。

 

でも絵が好きというのとはまた別に、この方の問題意識を持って作品を描く部分がとてもいいと思っていた。天人唐草が世に出た時の衝撃!ネットもSNSもなかった時代だが、あっという間に漫画界を席巻する旋風になったと思う。それを高校生の自分はどう察知していたのか。今思うと不思議だ。山岸先生が好きだから、雑誌に出るのを書店で知って読んだと思う。

 

そう、高校生が読むにはあまりに衝撃の大きな作品だった。ジェンダーの問題。自意識確立の問題。親子関係。そして性犯罪。提起されていることが多いし、これから大人になっていく自分は女であることを恐ろしく感じた。

その後も山岸先生は、様々なテーマを描いていく。LGBTにいち早く触れてヒット作「日出処の天子」を描いたのもすごい。もっともその随分前、「ひいなの埋葬」のあたりからゲイへの関心を隠さなくなってたと思う。「ひいなの埋葬」はミステリアスな作品だが、BL風味に興味を持たずにいられない女子高生には響く作品だった。謎めいた同い年の女子、呪われた血、雛人形の伝説。

 

だけど、もう一つ山岸先生贔屓には大きな理由があった。怪談である。

子供の時にりぼんの付録で「ゆうれい談」が別冊付録で付いてきた号を、たまたま買った。月に1冊だけ漫画を買っても良いことになっていて、コミックスよりはやはり月刊誌を買う方が色々な先生の作品が読めてお得だと子供心に思っていた。週刊誌だと連載が多く話が繋がらないので、やはり別冊が良い。この雑誌と決めずに色々その時その時で違う月刊誌を買っていた。

 

本当は当時一番人気があり、一番好きだった別冊マーガレットが買いたいのだが、仲良くしてた『くーちゃん』は毎月買ってもらえるので先を越されてしまう。違うものを買って貸し借りする方が色々読める。それでその時はりぼんにしたのだろう。山岸先生の別冊というのももちろん魅力だった。100ページ近い?ボリュームで別冊というのも、贅沢感があった。当時は毎月、色んな人気作家の読み切りが別冊で提供されていた。覚えているのは一条ゆかり6カ月連続の別冊付録というもので、それぞれテイストが全然違う贅沢な連作だったと思う。

 

ゆうれい談の事に話を戻す。アラベスクのような華麗な作品を期待していたのが、実話談であり脱力タッチのコミカルな絵柄で、アラベスクとは全然違う作品だったわけで、当時は正直「絵が〜」と残念だったが、幽霊の部分だけ気合が入った描写なのが怖い。全編通して話はとても面白かった。これで怪談に目覚めたと言っても過言ではない。

その後も山岸先生はたくさん怪談を書かれたが、一番怖いと思ったのは昔も今も「汐の声」だ。追い込まれた少女の魂が誰の助けも来ない世界に、怖いものと一緒に閉じ込められてしまう救いのなさ。周囲の大人たちの酷さ。

 

「一度きりの大泉の話」には山岸涼子は客観的視点を持った作家として書かれていて、傷心の萩尾先生ともずっと交流は続いていたのがわかり、とても心が温まる思いがした。自分が好きな作家同士がとても仲良しというのは、嬉しいじゃないか。

 

大人になり引越しなどでだいぶコミックスは捨ててしまったが、昨夜見てみたら山岸先生の本は結構残されていた。やっぱり一番好きな作家の本は捨てがたいのだ。