年末。翌年の日生劇場での公演のオーディション。
演出家とプロデュ-サ-は無言で課題の演技を見ていた。
やるべき事を終えた瞬間、やはり言葉を交わすことなく 二人は顔を見合わせて ニヤリと笑った。
「年内に決まってよかったな、中根」
「そうですね、蜷川さん」
1986年12月 帝国劇場地下稽古場  
それが出会いだった。

自分にとって二作目のシェィクスピア
しかし、玉三郎さん演出の「ロミオとシュリエット」と蜷川さんの「テンペスト」は余りにも違う世界であった。
稽古は過酷を極め、「 厳しい」 を通り越して「理不尽だ」と思った。
頭に来ていた。 許せなかった。 「もう二度とこの演出家はもちろん東宝から仕事が来なくなっても構わない、楽日の乾杯の時、ビールをあの演出家に浴びせて出ていってやる」心に固く誓っていた。初日の幕が上がるまでは。

初日のカーテンコールを終えた時、三時間前までとは違う自分がいるのをはっきりと感じた。怒りは消え去り、新たな希望だけがあった。
干穐楽、ビールをかける筈だった手は「一緒にエジンバラ行こうな」という言葉と共に差し出された手を握りかえしていた。

「テンペスト」
「NNAGAWA マクベス」
『夏の夜の夢」
「仮名手本忠心蔵」
「ペール ギュント」
「藪原検校」
エジンバラ、 ロンドン、 プリマス、ニューカッスル、 オタワ、 ニューヨーク、 パリ

ありとあらゆる「世界」を見せてもらった。挑戦し続ける演出家の背中を見る事が出来た。

棺の中の蜷川さんの顔は安らか というより格好よかった。最後は自分を演出しているんだ、そう思えた。

追悼記事の中に「中毒」という言葉を見かけた。
その通りだ。
罵られ 物を投げられ、もう二度とごめんだと思う。でも すぐに また求めてしまう。
僕たちは しばらく禁断症状に苦しむだろう。しかし克服しなければならない。そうでなければ これからの自分はないし、そうでなければ背中を見てきた意味がない。そうでなければいずれ再会した時にまた怒られる。

{CFFCE4B5-E3C4-4F97-B292-5C7BFE17F895}