どちらがが真理なら,どちらかは真理ではない。 | yosia621のブログ

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公式見解では「お母様の御言も真理であり、お父様の御言も真理」としています。

 

復帰歴史、人類歴史はアダムを求めてきた。

というのが文師の御言から解ります。

 

「今日の訓読のみ言友の会」ブログ

一人のアダムを求めた歴史(5月13日)+α

(御旨と世界 P.203)

歴史は、結局、アダム一人を完成させ、神の相対の位置に立たせて、神を迎え、完成された愛を満たすことによって、その愛がアダムと一つになっているから、横的な中心者に立つのが新郎である。中心者の前に相対的に立つのが新婦である。

 

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「夢と現実」ブログ

『真理はシンプル』「み言」紹介7

 

文鮮明ムン ソンミョン先生マルスム選集 325巻

2000.06.30(金)韓国 ソウル 龍山 漢南国際研修院

『男根石 女根石 奉献式』

ですから今までの救援摂理は、アダムを再創造する歴史だよ。

神様の息子を見つけられなかったんだね。4000年ぶりに現れたイエスは神様の息子なんだね。独生子なんだよ。血統を清めて現れたんだね。独生子と言うのは、血統を清めて現れたからなんだね。原理の「み言」を聞いてみると血統を清めなければならないという内容がでてくるね。

血統を清めたその男性が、アダムを見本としてエバを造ったので、女性に会って血筋を清めてあげないといけないんだね。アダムがエバの言葉を聞いて血統を汚したんだから、エバを絶対服従するようにして血統を清めないといけないんだね。

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統一原理(文師の真理)の歴史は、堕落しなかったアダム、メシアを求めてきたという結論で、なんら間違いはありません。

 

対して、

韓総裁の歴史観は「独り娘を求めてきた」です。堕落以後の人類史6000年は「独り娘」を求めてきた歴史であり、キリスト教2000年も「独り娘」を求めてきた歴史であるとしています。

 

『6000年ぶりに、天はこの韓民族を通して1943年に独生女を送ってくださる』(2020/11/11牧会者集会)

『これまでの2千年歴史は、独り娘を探してこられた歴史です。 』(2014/7/1)

『このキリスト教の歴史は、独り娘を準備する摂理になるべきでした。』(2015/12/25クリスマス晩餐会)

 

主体的男性(本来のアダム:メシア:真の父)が立てば、相対的に女性(本来のエバ:真の母)を立てるのですから、女性を求めてきた歴史と言えなくはないけれど、統一原理にある復帰歴史は、特に同時性はメシアの基台の造成にあり、メシアの為の基台(信仰基台と実体基台)の失敗を補うために織りなされてきたとうのは学んできた通りです。

 

イエス様の福音も真理であり、文師の御言も真理。

は、食口にとっては何の問題もありません。(キリスト教からすると大問題ですが)

イエス様の比喩や例えをあからさまにしたのが御言なので、同じ延長上にあり相反しません。

 

独り娘(独生女)にしても例えば・・・

「復帰歴史は一人の完成した男性、独り子を求めてきた歴史ではありますが、歴史の結実としては「真の父母」が顕現しなければならないので、相対として独り娘がいなければなりません。私が勝利した真の母であり、神の求める独り娘となりました。」

と宣言したなら何の矛盾もありません。

 

どこまで行っても文師の御言が基礎となっている同一線上にあるからです。

 

ところが韓総裁は、ご自分にだけスポットを当てて、復帰歴史は女メシアを求めるもの、独り娘は歴史の結実、独り娘の韓総裁は唯一無と宣言し、夫である真の父文師を蔑ろにして、文師の説いた真理は間違いとしました。

 

独生女論(真の父母論)を新しい真理とするには無理があります。

矛盾した内容を同一線上で、両方真理となり得ません。


よって、公式見解の「お母様の御言も真理であり、お父様の御言も真理」は間違いです。

「お母様の御言も真理」なら「お父様の御言も真理ではまりません」

「お父様の御言が真理」なら「お母様の御言も真理ではありません」

 

成約生徒は真理を求めるべきです。


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『私が60年を耐えて待ってきた。よく耐えた。私にありがとうと言わなければならない。』

(2020/11/11牧会者集会)』

『私は天が私を独生女として、誕生させ祝福して以来、53年を忍耐して待ちました。(2023.5.25 麗水教会での集会)』

 

お辛かったお気持ちを完全に理解はすることは困難ですが、想像はできます。