歴史芸人・長谷川ヨシテルが黒田官兵衛ゆかりの城を巡る!
【大河ドラマ先駆けツアー】
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第7回は、黒田官兵衛が攻めた悲劇のお城、「上月城(こうづきじょう)」です。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

上月城は、兵庫県佐用町の山の上に築かれたお城です。


また山の上!


昨日の篠ノ丸城(第6回参照)で、既に足が棒となっていましたが、

不思議なもので、

城を目の前にすると、体中の乳酸が敗走していくんです。


がっはっは。


さあ、本丸目指して、登城口へ。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

あ、ガッツリ山道だ・・・。


ひるむな!乳酸が敗走したんだろ!


ということで、本丸目指してきました。


15分ほどでしょうか、

昨日とは一転しての最高の天気の中、

戦国時代に織田家と毛利家が取り合った悲劇のお城を登ってきました。


「お城」ということを意識しなければ、ただの「山」なのですが、

注意して見れば、ところどころにお城の遺構が残っていることに気付きます。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

堀切の跡です。


案内板がかろうじて出ているのでわかります。


ただ、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

これになると、

モシャモシャで何のこっちゃわからないですね。


二つの写真とも、

山が削られた場所に屋敷とか蔵とかが置かれていた、

郭(くるわ=区画)の跡なんです。


山の中に、急に平な場所が何か所か出てくるんで、

ああ、ここにかつてお城があったんだ、と古城の趣にどっぷりと浸れます。


そして、とうとう、本丸に到着です。

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

山の上には誰もいるはずもなく、

本丸跡で抜け殻の兜とともに一枚。


跡地には上月城主であった、

赤松政範(あかまつまさのり)さんのお墓が立っています。


赤松さんは織田家と対立して、

黒田官兵衛擁する秀吉軍に攻められ、この地で自決しました。


さらに、見せしめとして、

このお城の女性や子供は全員串刺し磔(はりつけ)にされ、

毛利家との国境付近にさらされたそうです。


上月城の悲しい歴史は、これだけでは終わりません。


赤松さんを倒した秀吉軍は、

尼子勝久(あまごかつひさ)・山中鹿之助(やまなかしかのすけ)の主従に、

このお城を任せました。


鹿之助さんは、

毛利家によって一度倒されてしまった主君・尼子家の復興を目指し、

以前捕まってしまったときは、ボットン便所の中から逃走を図るなど、

とにかく尼子家のために尽くしてきた人物で、

「我に七難八苦(しちなんはっく)を与えよ!」と月に誓ったという名言が有名です。


ネット界では愛を持って”戦国のドM”と呼んでいます。


さて、

自分の味方を倒された毛利家は、上月城を取り返そうと躍起しており、

まもなく大軍を持って攻めてきました。


このお城の周りを、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

毛利家の大軍が囲んだそうです。


秀吉軍は近くの山まで援軍にきましたが、

織田信長の命令によって、

上月城と尼子勝久・山中鹿之助を見捨てることになってしまいました。


わずかな軍勢では毛利家の大軍に敵わず、

奮戦むなしく、上月城は落城してしまいます。


尼子勝久は腹を切り、

山中鹿之助は捕縛され、

安芸(あき=広島)へ輸送される際に首を斬られてしまったのです。


一説によると、

信長のこの冷酷な決断は、

「信長は人を切り捨てる」というイメージを強くし、

後の「本能寺の変」に繋がったともいいます。


明智光秀が「自分も捨てられる」と疑心暗鬼になって討った、

という説の一つの出所です。


とにかく鹿之助の祈願は、

果たされることなく終わってしまったということになります。


こんなトラジックなエピソードを持つ上月城の麓には、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

「上月歴史資料館」があります。


開館時間はというと、

$歴史芸人・長谷川ヨシテルの『我が名をあげよ、雲の上まで。』

土・日・月・祝日(10時~16時)、

閉館時間は火・水・木・金、及び12月29日~1月3日。


じぇんじぇん開いてない!


「土方歳三資料館」かっていうくらい開いてない!


ぼくが訪れた日は・・・、月曜日!


あぶね~っ!


良かった良かった。


七難八苦を与えられかけました。


資料館の中には上月城を中心とした、この辺りの歴史がわかりやすく展示されるので、

上月城を訪れた際は、せっかくですから、時間を合わせて資料館も寄ってみてくださいませ。


さて、第8回は「赤穂城(あこうじょう)」です。


どうかごひいきに~。




またね。