いつもご覧いただきありがとうございます。
心の花嫁学校マリアージュスクールの斎藤芳乃です。
それでは昨日、ご紹介させていただきました
「2度の離婚を乗り越えて、自分史上最高の彼と結婚の話が出ている!」
という素晴らしいM様からの体験談を、本日は解説させていただきますね。
自尊心を持ったことで、自分史上最高の彼に出逢えたご報告です。
M様は、こちらの体験談の中で、
「それでも斎藤先生の書籍を読んで、自分だけが悪い訳ではない事に気付いてからは、少しずつ自尊心を満たしていって、自分自身を大切にして、「楽しいな‥幸せ!!」と思う事をどんどん与えていきました。」
とおっしゃってくださっています。
実は、これが自尊心を持つ、ということなんです。
ここで、具体的に解説させていただきますね。
まず、自尊心を持つということは何かというと、よくイメージされるような
「誰かと比べて自分自身が優れているという感覚」
「何か出来たときに、できた!と自分を褒める感覚」
ではないんです。
もちろん、「出来たこと=達成したこと、優れていること」を褒めることは、悪いことではありません。
それも、自尊心を持つ方法のひとつです。
けれど、それだと「できた自分はOK、できない自分はだめ」ということになってしまいますよね。
達成できた自分は素晴らしい。
でも、達成できなかった自分はまだまだで、自尊心を持つことはできない。
これは間違いなんです。
なぜなら、自尊心とは、
自分を心から信頼し、
自分の存在をありのまま、できてもできなくても慈しみ、
自分がただ存在しているだけで、何もしなくても
生きているだけでよく生きてきたね、と
心から、何のジャッジも判断もなく、寄り添い抱きしめるような、あふれるような想いだからです。
できてもできなくても、頑張った私がいる。
相手はどうであれ、それでも私はその時、懸命にやったんだ。
つい、結果や相手の反応を求めてしまうと、私たちは、自分がしていることを「相手基準」「結果基準」で、良いか悪いか、優れているかそうではないか判断するようになり、それに自分の価値を付随させます。
できた「美しい私」
できない「醜いダメな私」
でも、実際には、そんな結果などどうでもよく、ただその時懸命に生きている自分がいるわけです。
後から見れば、「至らない」とか、「あんなことしてたら、そりゃ絶対に愛されないよね」ということも、分かる日が来るかも知れませんね。
でも、その時は「知らなかったし、知らない中で一生懸命にもがいていた」のです。
だとしたら、その「知らない」ということを基準に判断するのではなく、「知らないながらももがいた自分の懸命さ」を認めてあげる・・・ということが、自尊心なのです。
こうして考えてみると、
「できないながらも、必死で生きてきた私」
「その時は、もうそれ以上のことはできなかった。どう考えても、あれが限界だった。でも、それでも限界の中で必死にその時出来ることを100%やったんだ」
と捉えられるようになると思います。
こうして、「思える」ようになることが、実際に自尊心を持つということなんですね。
自分に対して抱く、暖かい気持ち。
「そうだよねえ、よくやってきたよね、ほんとに」と、自然にわきあがってくるねぎらいの気持ち。
「そっか、そうだね、あんなこと教えてもらえなかったら知らないよね。でも、知らないながらも、それでもなんとか愛そうとしてきたんだよね」と、至らない自分を許しながら、至らず苦しんだ自分を思わず抱きしめて一緒に泣いてあげたくなる気持ち。
自然にわきあがってくる、自分に対する、暖かい想い。
これが、「自尊心」です。
自尊心は、「自分を尊重する心(こころ)」と書きます。
つまり、こころ=気持ち、なんですね。
決して「あれができたから私は優れた人間」という、ロジカルな「自尊思考」=計算ではない。
自然に思えてしまう。
自然にわきあがってくる。
今まではそんなこと思えなかったけれど、それでも今は、新しい捉え方ができるようになった結果、自分に対して責めることよりも、暖かい何かがあふれ出してくる。
これが、自尊心を持つということです。
そして、この「思えてしまう気持ち」「自然にわきあがってくるもの」は意識して無理に「こう考えよう」としたものではありませんから、一度持ってしまえば、2度となくなりませんし、自然にその後も「ああ、よくやったね」と、自分を抱きしめながら生きられるようになるのです。
この「思えてしまう気持ち」「思えるようになる」ということが、潜在意識が書き換わった、ということになります。
潜在意識とは無意識です。
無意識とは、「自分が意識しなくても、自然にそうなってしまうもの」ですよね。
つまり、「思えてしまうようになる」ということは、潜在意識が書き換わったからこそ、自然に無意識に「そう思えるようになった」ということです。
そして、こうして「そう思えるようになった」=潜在意識が書き換わると、もう自分のベースが変わっていますから、潜在意識同士が引き合い、
「思えている自分にぴったりの相手」
がやってくるんですね。
今までは、「思えなかった」。
だから、「思えなかった自分にあった、自分を苦しめる相手がやってきた」ということです。
でも、今は「思える、思えてしまう」。
だから、「思えるようになった自分にぴったりの、自分史上最高の彼がやってきた」ということなんですね。
潜在意識のマッチングは、ただこれだけ。
とても、シンプルです。
「思える」ということ。
言い換えると、「自尊心」ということ。
そして、そのために必要なことは、難しいものではなく、単に視点を変えたり、捉え方を変えて自分を見てあげたり・・・という、たったそれだけのことなのです。
狭い狭い檻の中にいて、その檻の中で、「おまえはこれができないからダメだ」と言われ続ければ、「そう思うしかなくなり」、「自尊心も持てなくなり」、結果、「ダメな自分にしか釣りあわない相手」がやってくる。
でも、檻から出て=新しい視点で自分に光を当てれば、実は美しかった姿にハッと気づきます。
その時、多くの方は、とても静かに、時に嗚咽しながら・・・涙を流されます。
自分が美しかったということに気づく瞬間。
自分が本当は愛を持っていたということに、まぎれもなく気づいてしまう瞬間。
そう「思えてしまう」。
否定しようとしても否定できない、「だって私はそれだけのことをしてきたのだ」と、自信を持ってそう思えてしまう。
自尊心を持つと、こうして自分の思考が勝手に変わり・・・
M様のように、自由な心の広がりと共に、新しい素晴らしい出逢いがやってくるのです。
思えるだけで。本当に?
そう思いますよね。
私もかつては、そう「思ってしまって」いました。
不信感にさいなまれ、自分のことも信じられず、自分の可能性も信じることができず、人生を変えるすべなど無いと、そう絶望していました。
「そう思うしか」なかったのです。
けれど、心が自由になったとき。
自分が自分のことを、生まれて初めて心から認められたとき。
「ああ、これはもう本当に頑張ったとしか言いようがない」と、そう思えてしまったとき。
涙と共に暖かい何かがあふれ、その暖かさを止めることができませんでした。
そして、泣き止んだ次の日にも、なぜか、その「暖かい、自分は確かによく生きてきたのだ」という何かは、私の心の中に残り続けました。
その暖かさは、今も、私を支え、そして、マリアージュスクールをつうじて、多くの美しい人を支えてくれています。
無理に、何かをしようとする必要はありません。
もう頑張らなくていい。
頑張る必要性が、もうないから。
あなたは充分だから。
充分に、もう生きてきたから。
それが、あなただから。
ただそれだけでいい。
でも、ただそれだけを認めてあげてください。
ただ、「そう、私はよく生きてきた」と、それを「ああ、そうだったね」と思うだけでいいのです。
それだけで、人生を変えることはできる。たとえどんな過去があったとしても。
幸せになることを、どうか、諦めないでくださいね。
諦める必要なんて、そもそもないのです。
だって自尊心を持つとは、「すでに生きてきたあなたを認めるだけ」の作業なのですから。
あなたには、それが「ある」。
それにどうか、1秒でも早く気づいて欲しいと願ってやみません。